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      改憲に突き進む日本
                    〜新自由主義憲法を斬る〜 


 自民党は、0511月の立党50年記念党大会で新憲法草案を採択した。憲法をめぐる情勢は、大きな曲がり角をまたひとつ曲がったと言える。
 
自民党草案は、憲法の全文にわたる修正となっており、内容的には、新憲法の制定である。そして、「新憲法草案」という形式をとるのは、憲法改正国民投票において「逐条投票」ではなく「一括投票」にする狙いもこめられている。
 新憲法草案の特徴は、ひとことで言えば「新自由主義憲法」である。
 カナメともいうべき「9条改憲案」も、自衛軍の海外での行動は「国際的に協調して行われる活動」と規定されており、それはかつてのような「鬼畜米英」との戦争(帝国主義間戦争)の再現ではない。新自由主義の世界秩序を守る帝国主義同盟のもとで、その一翼を担う形での戦争への参加である。むろん、現実に想定されるのは、アメリカとの強調のもとでの戦争である。
 
全体として・自民党草案には「小さな政府」・「強い国家」という新自由主義の原理が強く盛り込まれている。

 @前文=平和的生存権と立憲主義の否定
 まず、前文では、現行憲法の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し…」との戦争の反省と政府の非戦義務が削除され、平和的生存権の規定も削除されている。さらに「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるもであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」という立憲主義原則(「国家権力を制限して、国民の自由と権利を保障するための基本法が憲法である」とする近代憲法の大原則)を謳った条文が削除されている。
 
それに代わって、「日本国民は…帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し・・・」という「国民の責務」が新たに規定されている。憲法が、愛国心や国家への忠誠を国民に強制するというのは、「立憲主義否定の憲法」への変質である。本来の憲法は、「愛国心を持たない自由」を認め、その個人の権利をも保障すべきものである。
 
また、草案は「日本国民は…自由かつ公正で活力ある社会と国民福祉の充実を図り…」として、「活力ある社会」建設を国民の目標に設定している。「活力ある社会」とは、日本経団連の掲げる国家目標であり、民間資本主導型の新自由主義社会を意味する。そして「国民福祉」も、国家の責務ではなく、国民の努力目標となっている。
 
こうして、21世紀の人類を導くに足る現行憲法前文の高邁な理念と原理は消えうせ、志の低い新自由主義の原理を盛り込んだ前文となっているのである。

 A第9条=海外で戦争できる国へ
 2章の見出しが「戦争放棄」から「安全保障」に変更され、現行第92項が完全削除されて新たな条文に変えられている。「自衛軍の保持」が規定されることで、「集団的自衛権の行使はできない」とされてきた従来の制約は解除される。草案第923の「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」はきわめて幅広い規定であり、自衛軍は、アフガニスタン戦争にもイラク戦争にも参戦して武力行使ができることになる。
 ただ、自衛軍の「国際的協調活動」は「法律の定めるところにより」という制限規定があり、「自衛隊を憲法上認知して・海外の武力行使には法律で歯止めをかければいい」という逃げ口上が可能となる。
 「本当に海外での武力行使に反対するのであれば、なぜ9条を変えるのか!」という追及が大切となる。「緊急事態における公の秩序維持」と「生命もしくは自由を守る」ための活動とは、軍隊の国内出動であり国民に武器を向けることが憲法上で規定されることになる。

 B第3章=「公益と公的秩序」の枠に押し込められる人権
 3章の「国民の権利と義務」でも重大な修正がなされている。
 何よりも、草案第12条では、「自由及び権利には責任及び義務が伴なう」として、「責任」「義務」を「自由」「権利」と同格の位置に押し上げている。
 
「自由」と「権利」の地位を低めた上で、草案12条は、さらに現行憲法の「公共の福祉のために」を「公益及び公の秩序に反しないように」という規定に変更している。このもつ意味は、深刻である。
 「公共の福祉」は、これまでも権利を制限する口実に利用される傾向にあったが、本来は、「ある個人の人権を制限できるのは別の個人の人権だけであって、その権利のぶつかり合いの調整原理」である。
 つまり、「公共の福祉」論は、人権を最高位に置いた原理である。
 それにたいして、「公益及び公の秩序」論は、「公益及び公的秩序」を人権の上位に置き、国家権力の判断で個人の人権を制約しうる原理なのである。
 自民党の新憲法下では、新自由主義のもたらす格差杜会のなかで、労働条件や福祉の向上を求めても、その権利は「公益及び公の秩序」の枠組みに容易に押さえ込まれ、大衆的なたたかいも権力的に抑圧されうることになる。
 「公益及び公の秩序」は第13(変更)と第29(新設)にも登場して重要な位置を占めている。
  次いで・第20条も問題である。現行第20条は、国の宗教活動の禁止をうたい、厳格な政教分離を規定しているが、自民党案では、国や自治体の宗教行事へのかかわりを大幅に緩和している。政教分離という近代民主主義原理からの後退であり、首相の靖国参拝を違憲とする根拠は失われる。
 
3章の最後に、自民党案のセールスポイントに触れておきたい。
 自民党草案は・第3章で新しい権利をいろいろと盛り込んで、改憲の必要をアピールしている。障害の有無による差別禁止(14)、個人情報保護(192)・国政の説明義務(21条二)、環境保全責任(25条二)、犯罪被害者の権利(同条三)、知的財産権(292)などである。
 これらは、新しい権利を創設したかのような見せかけをとっているが、現行憲法の範囲内で法律によって十分に充実できるものであり、もともとこの実行を怠ってきたのは歴代の自民党政権そして自公政権である。これらは、9条改憲を包むオブラートであり、人権を貶(おとし)める憲法草案の恥部を隠すイチジクの葉でもある。

 C第8章=道州制への道
 
また、第91条、第92条の自治体に関する箇所では、広域自治体、国と地方の役割分担など、この問進められてきた新自由主義的自治体「改革」が憲法上も追認され、道州制を促進する規定になっており、地方自治は住民からますます遠ざかる。

 
D96条=改憲発議の規制緩和
 現行第96条は、改憲発議には「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」が必要としているのにたいして、自民党草案は「各議院の総議員の過半数の賛成」で国民投票にかけることができると修正されている。法律と同じレベルで改憲発議が可能となり、以降、積み残された改憲課題を容易に達成する道が拓かれるのである。
 全体として、自民党草案は、現憲法が国家権力に命じている「平和国家」「福祉国家」建設の責務を全面解除し、資本主義の横暴さを野放しにする新自由主義に適合的な憲法草案となっている。
 国民投票で、憲法改悪を阻止するのは生易しい情勢ではないが、改憲派の弱点も決して小さいものではない。
 さまざまなレベルでの反自由主義のたたかいを積み上げつつ、多様な憲法改悪反対のたたかいをひろげ、これらを総結集した最大限広範な戦線を築き上げてゆくことが求められている。    
                         2006データブックから


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