憲法を生かす会関東

第4号    2007年10月21日  憲法を生かす会関東連絡会

インド洋派兵新法もISAFへの派兵もダメ
 福田内閣の発足で審議入りが遅れた168臨時国会は、テロ特措法の延長が不可能になり、政府は10月17日、それに代わる「派兵新法案」を国会に出した。政府・与党は、対米関係と安保理の「感謝」決議まで出させた経過もあり、給油の継続を至上命題としている。
 法案の骨子は、海上捜索救助などを削除して「給油・給水」に限り、期間は1年とし、(法律の成立を理由に)国会の事前承認条項は削除する、など。高村外相は「海上阻止活動に絞る」と答弁したが、もはや海上からのアフガン空爆は行われておらず、自制でも譲歩でもない。
 しかし、NPOのピース・デポの発表を受けて防衛省も認めたように、自衛隊の輸送艦による給油は88%が米艦に対するもので、それは03年春のイラク攻撃開始時期に集中し、空母キティホークなどは給油(間接)を受けた直後にペルシア湾に入り、航空作戦を行ったことが明らかになった。これはアフガン戦争に限定されていたテロ特措法にさえ違反したものだ。
 政府は、当時の福田官房長官を始め、キティホークヘの給油は20万ガロン(1日分)だからイラク戦争に行くはずがないとか、給油からペルシア湾進入までかなり日数があり、給油分はイラク戦争に使われていないとか、日米協定でアフガン作戦に限定しているなどと説明してきた。しかし実際は、キティホークには1回で67.5万ガロン(通常航行時1週間分、戦闘行動時3日分)が給油され、同空母は同日中にペルシア湾に入っており、また日米協定には明確な限定はないことが明らかになった。
 この法案が衆院を通過しても、与野党逆転の参院は否決できる。その場合、衆院は3分の2以上の再議決で成立させることができる。いまのところ、政府・与党は世論や国会対策の観点から強行成立に消極的な姿勢をほのめかしているが、強硬方針を捨てたわけではない。安保理決議などでゆれている反対世論を大きくするため、私たちの運動の強化が大事になっている。
 一方、国会論戦が始まる直前、民主党の小沢代表は「ISAF(国際治安支援部隊)は安保理決議で認められている。政権をとったら自衛隊をISAFに参加させたい」と語り、民主党内にさえ衝撃を与えた。政府・与党は早速、「ISAFは武カ行使をするので、参加は憲法違反だ」と反論している。 この点に限っては政府・与党の方が正しい。
 民主党は「ISAF派兵法案」を出そうとしたが、党内外の風当たりが強く、「武力(自衛隊)でなく民生協力で」と方向転換の姿勢を見せつつある。
 ISAF軍3万9,000人は米軍とともにアフガン全土で掃討作戦を行い、すでに700人以上の死者が出ている(うち米兵約450人)その相手はアルカーイダやタリバンだけでなく、米軍に家族を殺された人びとや外国革の支配に反対する人びとなども武器を取り、「武装勢力」はむしろ拡大している。
 政府・与党も民主党も、アフガンの現実を直視し、平和的解決の道を探るべきである。
現地ではアフガン政権も含め「対話」の兆しもある。「国際紛争の解決に武力を用いてはならない」という憲法9条をしっかり読み直すべきである。
                         憲法を生かす会 筑紫建彦

パトリオットミサイル配備反対闘争の取り組み

   憲法を活かす会・千葉県協議会
  私たちは今「パトリオットミサイルはいらない!習志野基地行動実行委員会」に入り、地域住民や平和団体、地方議員と共にPAC3配備反対の闘いを進めています。この実行委員会は7月に結成され、すでにPAC3が配備されている「入間基地の闘いに学ぶ学習会」、駅頭での宣伝活動、習志野基地への要請行動、地域住民への反対ビラのボステングなどさまざまな行動を行ってきました。9月30日には、第1回目の市民統一行動として集会とデモを行いました。今後の行動としては、12月1日に第2回市民行動さらに習志野基地前座り込み行動、搬入の監視活動などを計画しています。

 習志野
       PAC3はいらない!
               風雨の中、怒りの市民行動

PAC3配備に反対する第1回市民統一行動が9月30日に取り組まれ、風雨が強い悪天候の中150が参加。習志野基地に隣接する津田沼駅前公園で集会を開催した後、習志野基地前までデモ行進を行い、「PAC3はいらない!」と怒りを込めて連呼し、市民に訴えました。当日は右翼の街宣カー・自家用車10台に集会会場を取り巻かれるなど妨害を受け、集会参加を躊蹄した市民もいましたが、大きなトラブルもなく集会とデモを整然と行いました。
 集会では、地元自治体議員、憲法を活かす会をはじめ応援に駆けつけた入間(埼玉)の仲間があいさつ。PAC3の配備は「憲法の平和主義を根本から覆すもので認められない」「強行する背景には日米の軍需産業がある」「ミサイルが発射されることになれば、破片が広範囲に頭から落ち近隣住民90万人が脅かされる。配備させない外交こそが大切だ」「配備を許すとアメリカの軍事戦略に組み込まれアジアが一気に緊張する」等々の発言と配備反対へ決意が述べられました。
 参議院議員の糸数慶子、川田龍平、山内徳信さん、社民党の福島瑞穂さんから連帯のメッセージも寄せられました。
 PAC3とは、日本に向けて発射された弾道ミサイルを迎撃するミサイルです。ミサイルの大きさは直径25cm・長さ5mで1機に16発(1発4億円)搭載されており、射程距離が短いため(半径20km)可動式となっています。命中率はこれまでの実験から極めて低いことも明らかになっています。今年3月に入間基地(埼玉)に配備され、07年度の1月までに習志野(千葉)、末までに霞ケ浦(茨城)、武山(神奈川)への配備が決まっています。さらに10年度末までには、首都圏や中京・京阪神地区などの空自高射隊に配備される予定になっています。


アフガニスタンはどうなっている?
対テロ戦争で平和はつくれない

   谷山博史 日本国際ボランティアセンター
日本国際ボランティアセンター(JVC)代表理事。1986年にJVCに参加、カオイダン難民キャンプで技術学校担当。タイ、ラオス、カンボジアの駐在を経て、94年からJVC事務局長。02年からJVCアフガニスタン事務所代表。この間、地域の国際協力推進会議、NGO非戦ネット等ネットワーク団体に関わる。06年より現職。著書『地球人として生きる』(共著、岩波ジュニア新書)

 【JVCの活動と私の活動歴】日本国際ボランティアセンター(通称JVCと呼んでいます)の谷山です。JVCは、27年前にインドシナ紛争で難民となったカンボジア・ベトナム・ラオスなど、インドシナの人たちに対する救援をきっかけにして設立された日本のNGOです。
 現在11カ国で紛争時及び紛争後の緊急支援、あるいは長期的な視点にたった農村開発などを行っています。いまJVCがかかわっている国は、長期的な農村開発ではタイ、ラオス、カンボジア、ベトナムです。

 緊急救援あるいは復興支援の活動では、これからお話するアフガニスタンとイラク、パレスチナ、それからスーダンです。長期的な開発協力では南アフリカも含まれます。
北朝鮮では、緊急救援だけではなく交流を主体にした事業をしています。私も2週間前まで北朝鮮に行っていました。
 私自身は去(06)年11月までアフガニスタンに4年間駐在していました。場所は首都カーブルではなくて、パキスタン国境に近い東部のジャララバードという町です。
 その地域で農村の医療活動を中心に活動をしてきました。それ以前の約8年間は東京でJVCの事務局長をしていました。さらにその前の8年間は、カンボジア、ラオス、タイで農村での活動や難民支援、カンボジアでは復興支援にかかわってきました。

 【アフガンニスタンヘ・2002年8月】それ以前にも難民が出てきていましたので調査活動はしていましたが、JVCが本格的にアフガニスタンにかかわるようになったのは、2001年の「9・11」ニューヨークでの同時多発襲撃事件からです。「9・11」の後、アメリカがアフガニスタン攻撃を開始するという機運の中で、まず私たちは戦争を起こしてはいけないと運動をやってきました。いわゆるテロの背後にある憎悪と憎しみは、私たちが知っている第3世界における格差や不公正などとダブって見えていましたから、戦争をもって「テロ」に報い5ることは何の解決にもならない。むしろ憎しみと憎悪の報復の連鎖を助長するだけだということで戦争に反対する運動をやってきました。
 アフガン戦争が始まってしまってからは、とにかく現場に近いところに行こう、そして調査をして緊急支援をしようということで私も直接にかかわってきました。当時アフガニスタンは、空爆が激しくて外国人はすべて撤退していました。国内に入ることはできなかった。ですからパキスタン側で情報を集め、緊急支援活動を開始することを決めました。
 その後1年も経ってない02年8月に、私はJVC事務局長を辞めてアフガニスタン国内に入って活動を始めました。アフガニスタンの人たちと−緒に活動したい(もちろんJVCのプロジェクト運営を通して)、アメリカの対テロ戦争が一体どういう結果を生んでいるのか、アフガニスタンの人たちの思いは何なのか、その先どういう解決の方法があるのか、自分の眼で見て、現場で考えたいと強く思い、アフガニスタンに入ることを決めたわけです。こういうことで今日この場にも呼んでいただいているわけです。
 JVCの基本的立場は、対テロ戦争反対です。そして対テロ戦争を支援する自衛隊の活動に対しても反対です。ただアフガニスタンの内で活動していると、自衛隊が行くか、行かないか、ということだけが問題ではありません。日本の自衛隊が手を出さなければいいというだけではすみません。
 対テロ戦争は一体どういうことになっているのか、外国の軍隊が手を引いたらどうなるのだろうか、それに替るオプションはあるのだろうか…そういう問題も含めて考えていかなければならないと思っています。

アブガニスタンの状況
 (1)勢力を増す「反米武装勢力」

 まず今のアフガニスタンの状況がどうなっているのかということです。
 アメリカの対テロ戦争が行なわれ、また多国籍軍と呼ばれている「ISAF」(国際治安支援部隊)が治安支援活動をしていますが、それによってアフガニスタンは良くなったのかどうか。結論的に言ってしまえば、皆さんもご存知と思いますが、アフガニスタンの状態は、平和と安定がもたらされているような状況ではまったくありません。ますます不安定化してきています。
 端的に言えば「戦争が泥沼化している」状態になっているわけです。
 アフガニスタン各地で「武装勢力」が勢いを盛り返しています。武装勢力と言っても色々あり、またとても複雑で、一概に判断しにくいところはあります。が、やはり急速に勢力を伸ばしているのはタリバーンです。タリバーンと連携している外国勢力であるアルカイーダです。
 それ以外にも、その昔(旧)ソ連と戦って、その後政府の一員になったこともあるハクマティヤールを中心とするイスラム党の小勢力など実にたくさんあります。これらすべてをひっくるめて「反米武装勢力」と呼んでいますが、この勢力が勢いを増しているわけです。

(2)増え続ける犠牲者

 そして同時に、戦争に巻き込まれ、あるいは(括弧書きですが)「テロ襲撃」事件に巻き込まれて亡くなる人たちは年々増加してきています。
 私は02年の8月にアフガニスタンに行ったわけですが、タリバーンが駆逐され逃げて行った直後の頃でしたので、小康状態・束の間の平和というか、田舎の町でも一人で歩いて何の危険も感じなかった。JVCが行っていた巡回診療活動で村々を回りましたが、その時期はどこの村に行くにも危険を感じませんでした。女性看護師もいましたが、女性も一人で町を歩ける状況でした。ほんの−時期、1年ぐらいの間でしたけども…。その後、イラク戦争の開始前ぐらいから急激に状況が悪化しました。反米武装勢力が、米軍はもちろん、外国軍、アフガニスタン政府さらには国連やNGOまで敵だと位置づけてジハード声明を発したのも、ちょうどイラク戦争の直前でした。
 04年に戦争に巻き込まれて亡くなった人(軍人も含む)は800人でしたが、05年には1500人、06年は4000人と倍倍に増えていっています。その中で純粋に民間人が亡くなるケースもとても多くて、2007年4月から8月までで1060人の方が亡くなっています。6月に97人、7月に144人、8月には168人とだんだん増える傾向にあります。その内、多国籍軍あるいは連合国軍の攻撃によって亡くなる人の数は、月100人にのぼるだろうと言われています。

(3)誤射は日常茶飯事
  -人々の反発が広がる


 とても深刻な事態です。民間人の犠牲がますます増えていく中で、米軍あるいは連合軍に対して、そしてISAFに対する反発は、「外」からは見えないのですが、「地下」の方でどんどん蔓延していると私は感じます。
 JVCの関係者が被害にあった1つの事例をお話します。
 05年4月に、JVCスタッフであるアフガニスタン人の医者が、母親が住んでいる村を地元の乗り合いタクシーで移動している時に、近くにあった米軍駐屯場から射撃されました。暫くすると、タクシー後方からついてきていたジープ(装甲車)からも撃たれました。前後から撃たれた。アフガニスタン人の医者のお母さんがわき腹に3発の銃弾を受け、同乗していた2人の乗客が重傷を負いました。
 米軍はタクシーに乗り込んで来てさらに撃とうとしたらしいのですが、女性を撃ったことに気がついて、また同時に攻撃は誤射だったと察したようで、ヘリコプターを呼んで、その母親を含む3人の負傷者をどこかへ連れて行ったわけです。深夜でしたが、すぐに私にもスタッフから電話が入りました。「母親が米軍に撃たれた。ヘリコプターでどこかへ連れ去られた」「どこだかわからない…連れ去られた」というわけです。そして、その村の一族が蜂の巣を突いたような大変な騒ぎになりました。
 私は国連機関をはじめ米軍も含めて、私の持っているあらゆるネットワークを使って こういう事件があった。どこにいるか探して欲しい=@情報を早く欲しい=@と問い合わせをしたわけですが、最終的にマグナム空港の米軍基地内の病院に収容されて手当てを受けているということがわかりました。ともかく何で撃たれたのかわからない、無実の人が撃たれ、かつ達れ去られたという状態で、村の−族の人たちの米軍に対する反発はどんどん高まっていくわけです。
 その後、カーブルで、米軍と多国籍軍を構成する部隊とNGO側が交渉する機会がありましたが、その一つのテーマとして「誤爆・誤射」をどう扱うのかという問題がありました。その具体的事例として、私はスタッフの母親の件を出したわけです。
 そうしたら、担当の米軍中佐は「そのような事件は日常茶飯事に起こっている。いちいち調査はできない」と言いました。NGO側はともかく調査を要求し、説明を要求し、そして謝罪と補償を要求したわけですが、その後も何の返事もありませんでした。
 この経過報告を聞いた村の−族の人たちは、さらに怒り心頭に達するわけです。
 米軍中佐が言ったように「誤射は日常茶飯事だ」とすれば、アフガニスタンの人々の怒りも日常茶飯に起こり、そしてそれは、アフガニスタン人の中では村の一族から他の村や町の親族・一族へと伝播していくのです。こういう現象を私はとても深刻なものだと捉えているわけです。

(4)政府への不信と地方軍閥の復活

 では、こうした事態に対するアフガニスタン政府の対応はどうか。
 カルザイ大統領は、こうした事件が起こる毎に米軍に対して「調査をするように」「2度と起こらないように」と言うわけですが、パフォーマンスにすぎないと言えます。米軍は、時々は調査することがあるし、時々は補償=@のような 一時金≠ェ払われることはありますが、その数はほんの微々たるもので、多くの場合はなんら対処されることなく進んでいます。そんな中で、アフガニスタン政府というのは人々にとって−体何なのかという問題が明らかになってきます。
 カルザイは米軍にモノを言ってはいるが、何ら米軍をコントロールすることもできなければ、米軍をはじめとした連合軍あるいはISAFの構造も全く捉えていない、知っていないということが明らかになってきたのです。ですから、ある意味で、アフガニスタンの人たちには、政府に対する不信感(の高まり)と政府に対する求心力が低下するという事態が染み付いてきていると思います。
 そしてこの点に関して問題なのは、先ほど述べた反米武装勢力だけではなくて、カルザイ政権の求心力が低下することによって、これまでは様子見をしていた地方の軍閥が復活してきています。タリバーンの手先ではない、とくに北部・西部の、対テロ戦争の中心地ではない地方の有力者、将軍等の軍閥がのし上がってきたと言いますか、再度勢力を持ってきている現象が並行して起こってきています。対テロ戦争に伴って「不安定化」が増してきている要因でもあります。

アフガニスタンの政治の動き
−戦争によらない出口の模索

 (1)ピース・ジルガの開催(07年8月)

 こうした状況にカルザイも含めて危機感を募らせ、何とかしなければいけないという政治の動きが少しずつアフガニスタン国内の中にも見えてきています。
 今(07)年の5月8日、05年の選挙で選ばれたアフガニスタン国会の上院の人たちが、上院決議として、タリバーンを含む武装勢力と交渉をするようにという対話路線の要請をカルザイ大統領に対して提出しています。その上院決議には同時に、多国籍軍とアフガン国軍に対して武装活動を中止するようにという要請もセットでなされています。
 さらに8月には、「ピース・ジルガ」(和平会議)がカーブルで開かれました。
アフガニスタン側とパキスタン側のパシュトーン人の長老、部族リーダーたちが一堂に集まり、アフガニスタン政府側からカルザイ大統領、パキスタン政府側からムシヤラフ大統領も参加しました。そして、どのように和平の方向へもっていくか=@という会議が3日間にわたって開かれました。
 この「ピース・ジルガ」開催には、「ピース・ジルガ方式」が05年ぐらいから模索されてきていたという背景があります。

(2)ピース・ジルガ方式

 06年には、パキスタンのトライパルエリア一国境地帯のパシュトーン人が住んでいる地域で、地元の部族リーダーとタリバーンとパキスタン国軍との間でかなり長い時間をかけて和平交渉が行われていました。
 一番初めに行われていたのは、パキスタンの北西辺境州、北ワギリスタンというアフガニスタンとの国境地域です。そこにはタリバーンが出没し、国境を越え、兵力の補給基地みたいになってしまっており、同時にタリバーンとパキスタン国軍が衝突することも多くなってきていました。ムシヤフ大統領は、タリバーンがアフガニスタンに行ってアフガニスタンに不安定化をもたらすだけではなく、パキスタンでもタリバーンが国軍と対立するようになって、地域が不安定化することを非常に懸念したわけです。そこで、北ワギリスタンの有力部族のリーダー(この人は国会議員でもあった)が仲介に立って、タリバーン側と国軍側と交渉するという試みをかなり長い間やって、最終的に合意がなされた。タリバーン側は、武装活動はしない、アフガニスタンに越境しない、同時にパキスタン国軍はその地域から撤退するという協定が結ばれました。
 「ピース・ジルガによる平和協定」と言います。この試みが成功したことにムシヤラフは自信をつけて、パキスタンの国境地域すべてにピース・ジルガ方式を適用して安定化させるということを始めたのです。そして、各地でこうした話し合いが行われるようになりました。
 さらにムシヤラフは「アフガニスタン側でもやったらどうか」とカルザイに呼びかけました(米国ブッシュ大統領にも呼びかけている)。その結果、アフガニスタン側とパキスタン側で「ピース・ジルガ・コミッション」というものが作られ、地域、地域でそして時には一体となってみんなが集まって大きなジルガ大会をやろうというプロセスが出来ていたわけです。その一つが8月にカーブルで行われたわけです。
 ピース・ジルガは、もともとは部族長が中心になり、部族が責任を持って、その地域を安定化させる。だから軍隊側もタリバーン側も手を出さないというのが基本的なコンセンサスです。
 8月のピース・ジルガは大きな規模でもあり、また同時にカルザイも参加したこともあり、対テロ(戦争)についてはこれまでどおり 重要だ=@と触れざるを得なかったのですが、タリバーン側との交渉を進めるべきだということは声明ではっきりと表明しています。
 こういう模索に次ぐ模索を含めて、少しずつ戦争によらない出口を模索する動きが広がってきています。

対テロ戦争とないったい何か?
−「テロリスト」は判別できない

(1)素朴かつ基本的な疑問

 対テロ戦争(なるもの)について、イラクもそうですけが、アフガニスタンで見ていて素朴な疑問があります。普通の人間としてとても疑問に思うことがあります。対テロ戦争を結局いっまでやるのですか?ということです。
 「戦争」と言いますが、そもそも講が敵かわらないのです。一応タリバーンとかアルカイーダとか言っていますが、誰がタリバーンで、誰がアルカイーダかはよくわからない。そして、敵がわかったとしても、ではどこまでやるのですか、すべてを殺すまでやるのですか? どこに出口があるのですか?現実的にはISAFは劣勢です。外国軍の方が劣勢です。でもずっーとやり続けると言っているわけでが、どこに出口があるのですか?この疑問は、対テロ戦争を支持している日本政府に対しても言えることです。
 どこまで戦争して、どこに終着点があるのですか?何をもって成功と言うのですか、何をもって失敗と言ってやめるのですか?ということです。それをまったく示さないで、考えているのか、いないのかわからないですが、それで「国民」を引っ張って行っているわけです。これはいっか来た道ではないかという気がします。

(2)タリバーンとは?

 では、対テロ戦争の敵とされるタリバーンというのは一体何なんだということです。
 タリバーンに連なる人たちは、私たちが活動している東部や南東部、南のカンダハルに行けば、どこにでもと言ったら語弊があるかも知れませんが、どこにでもいます。
昔タリバーンだったという人もいます。
 私たちが活動している村をタリバーンの部隊が移動して行くことがあります。村人はそれを知っています。「昨日の夜タリバーン部隊が移動した」と私たちは地元出身のスタッフから伝え聞きます。しかし地元の住民は、政府や軍隊にその情報を流すわけではありません。ある意味で暗黙の合意があってタリバーンが行動しているわけです。
 ある村は積極的な支持をしていて、村の若者たちがタリバーンと交流しています。私は、アフガニスタンの全ての地域について知っているわけではありませんが、アルカイーダ、外国から来ている人間はきわめて少ないという事情もありますが、地域住民の反発をうけてまでタリバーンがその地域で行動しているということは、私にはあまり考えられないことです。住民が目を瞑ってくれる=Aあるいは支持してくれるというケースがあって、タリバーンの勢カか膨らんでいます。
 また場合によっては、タリバーンに対して住民が反旗を翻すこともあります。06年春ぐらいに起こったことです。私たちが活動している地域の近くにシェルダントウという郡があります。この郡の駐屯場をタリバーンが襲撃して占拠した時、村人は、タリバーンが来たことによって村が混乱したということで、銃を持ってタリバーンを攻撃して駐屯場を奪い返したことがあります。またラフマンノー県では、駐屯している国軍に対してタリバーンが攻撃をしかけて駐屯場を占拠しました。国軍は反撃して駐屯場を取り戻そうとしました。その攻防戦の時に、タリバーンはコーランの教えを旗に掲げて戦ったのです。村人は、コーランの教えを書いた旗を国軍側が攻撃しているということ知って、国軍側を批判し、タリバーン側に加勢するという事件もありました。
とても微妙な状況が村々で起こっているということを感じるわけです。

 タリバーン:本来はイスラーム神学生を意味する。旧ソ連侵攻に際し難民として周辺国に逃れ、マドラサ(イスラム神学校)で学び、ソ連撤退後の内戦状態に陥った祖国を憂いた20人ほどが、1994年に自警団として決起。その後、勢力は5万人に。

(3)タリバーンだけではない

 タリバーンだけではありません。いわゆる武装勢力と言われている人たち一米軍による攻撃以前に地元を支配していた大小の軍閥も、ある時は政府側につき、ある時はタリバーン側につくというふうに動いているわけです。
 米軍の攻撃によって家族を失った人たち、生命を狙われた人たちなどが、その報復のために再び武器を取って、グループを募って小さな部隊をつくり、お互いが連携したり、タリバーンと連携したりするということも起こっているのです。
 ノイフスタンという国境の山奥の県で、昔イスラム党で、もう引退して静かにしていたコマンダー(司令官)が、(米軍かCIAの仕業であると言われていますが)NGOをかたって医療活動しているグループに暗殺されかけたという事件が起こりました。そのコマンダーは、身の周りの人間と一緒に逃げましたが、それからは再び銃を取り始めました。
 同じ時期、隣のクナール県での話です。当時カルザイは、地方をコントロールできなくて困っていたので、バックにアメリカがついている強みを生かして、県知事の強引な首のすげ替えをやっていました。クナール県の知事もカルザイによって替えられて野に下り、静かにしていました。ところが、米軍が彼の出身の村を空爆して子供を含む12人の親族が亡くなりました。それをうけて、その元県知事は武装勢力になっていきました。
 こういう事例は枚挙に暇がないわけです。結局のところ、私たちが見ている対テロ戦争というのは、一体誰と戦っているのか、要はわからないということです。
 そして、とにかく「テロリスト」といえば殺してもいいという「対テロ戦争社会現象」と言うか、疑心暗鬼の現象がアフガニスタン社会の中に醸し出されています。
 アフガニスタンの社会は安定していませんし、さまざまな政治的背景をもった人たちがいるわけですから、ちょっと間違えると村長同士が対立したり、村や部族同士で抗争が起こったりするわけです。実に微妙です。たとえば、やっつけたい一族がいるときに、誤った情報を米軍にたれ流すわけです。それで米軍によってやっつけてもらうというようなこともけっこう起こっています。

lSAF(InternationalSecurity Assistance Force) 「国際治安支援部隊」。2001年12月20日に安保理決議1386の採択により、首都カーブルと周辺地域での治安活動のために配置。
当初任期は半年であったが、全国的な治安悪化に伴い、安保理決議1413によりさらに延長され、現在、NATO諸国を中心に37カ国3万2000人がアフガニスタンでその任にあたる。

アフガンニスタンにおける外国軍

 (1)2種類の外国軍

 アフガニスタンで活動している外国軍の位置づけはすごくむつかしいです。
 私は、「多国籍軍」と言ったり「連合軍」と言ったりしますが、使い分けています。
 アフガニスタンには2つのカテゴリーに分けられる外国軍がいるのです。
 1つは、アメリカ軍を中心とした有志連合で、「9.11」の後にタリバーンを攻撃する活動を始め、その後もアフガニスタン国内でテロ掃討作戦を展開している軍隊のグループです。
 アフガニスタンはアメリカの報復戦争によって戦争が始まって、そしてタリバーンは駆逐されたのですが、タリバーンは降伏したわけではなくて今でも戦争をしているわけです。アフガニスタンは、まだ和平協定が結ばれていない戦争状態ということになります。
 対テロ戦争を戦争と言っていいのかという問題がありますが、その戦争の当事者として戦っているのが「連合軍」です。これは国連決議に基づいていませんから、国連決議の枠外で集団的自衛権を行使する、いわゆる有志連合という位置づけになると思います。対テロ戦争において戦争をミッションとする部隊です。
 もう1つはISAFです。多国籍軍ですが、ボン和平協定に基づいて、アフガニスタン政府(当時は暫定政府、それから移行政府→正式政府と移行してきましたが)−そのあらゆる段階でのアフガニスタン政府を支援して治安の維持に当たる「治安支援部隊」です。アフガニスタン政府が責任を持つ治安活動を側面的に支援するミッションを持った多国籍軍です。
 ISAFは国連安保理の決議(国連決議1386)がありますので、一応は国連のお墨付きを得ているとは言えます。しかしアフガニスタンが戦争状態であることを考えると、当事者のすべてを含む和平協定、当事者の合意に基づくPKO活動ではないことになります。どちらかと言うと、昔のソマリアINOSOF2の「強制執行部隊」というPKFです。当事者が合意していなくても強制的に平和を保つ部隊=軍隊を派遣するという形に近いものになっていると思います。
 いずれにしてもISAFは、すべての紛争当事者の合意によって、そして受け入れに関しても合意するという条件の、日本のいわゆるPKO法に合致する条件を備えてはいません。
 そういう2種類の軍隊、外国軍がアフガニスタンにいるということです。
 そしてもっと複雑なのは、ISAFと連合軍の「境界」がわからなくなってきたことです。

(2)ISAFの対テロ戦争との一体化

 イラク情勢とも関係があるのですが、アメリカは2004年のベルリン会議のときに、アフガニスタンの米軍を減らしていくと言い始めます。それには米軍がやっている対テロ戦争の部分、連合軍が行っている活動について他の国にどんどん肩代わりしてほしいという背景がありました。そしてそれは、ISAFの主導がNATOに代わったのと同時的に起こってくるわけです。
 それまでISAFは、ISAFに加わっている国の軍隊が、持ち回りのようにして主導権を握り、指揮権を持つという形でやっ12てきていました。トルコ軍→イギリス軍→オランダ軍というふうに代わっていくわけですが、05年ぐらいからNATOが主導することになり、NATOがあえてすべてを監督することになったわけです。そして、06年からNATO=ISAFがアフガニスタンにおけるすべての外国軍の指揮権を握るように変わりました。
 それまでISAFは、戦争状態ではなかったカーブルで治安支援活動していたのですが、少しずつ、まだ治安が安定している北部地方へ展開し始めました。さらにNATOがISAFの指挿権を握る流れと、米軍が対テロ戦争を他の国にどんどん肩代わりしてもらいたいという流れとが合致して、結局は、南部の最も戦闘が激しい地域にもISAFが展開していき、ISAFを構成しているイギリス軍やオランダ軍がその地域で治安支援活動と同時に対テロ戦争に見まがうような軍事活動を展開するようになります。ISAFは、実際的・実態的に対テロ戦争に深くかかわっていきます。
 そして06年10月に、南東部からずっ−と移って来て東部のナンガルハル県で、連合軍からISAF=NATOへの指揮権が移譲され、全国的に指揮権の以上が最終的に完了しました。ですから今は、すべての外国軍は基本的にはISAF=NATOの管轄に入っています。
 もともと指揮権が違い、ミッションも異なり、活動する場所も違っていた連合軍とISAFが、ほとんど一緒になってしまったということです。
 ですから当然のことですが、反政府、反米武装勢力側も地元の住民も、その軍隊がISAFなのか、対テロ戦争をやっている連合軍なのか全く区別できるような状態ではないのです。
 私が去(06)年の10月にアフガニスタンに行った時、私にISAFから突然メールが入ってきて、今日からジャララバードでは米軍からISAFに指揮権が代わりました=@という「お知らせ」がきました。これからは旗も米軍の旗ではなくてISAF=NATOの旗ですから、お見知りおき下さいということでしょう。ある日突然に旗が変わるわけです。
 米軍はジャララバード市内でも「テロリスト急襲作戦」や地方ではタリバーンを追い詰めて空爆をしたりしてきました。人びとは米軍がやっていると知っています。その米軍がある日、急にISAFになっちやうわけです。これはまずいとつくづく思います。

(3)あらゆる軍事関与をやめるべき

 こういう中で、私は、日本のアフガニスタンへの軍事的な関与というのは、単にインド洋での給油を継続するべきか、するべきではないかというだけではなくて、あらゆる軍事的な関与はやめろと言わないといけないと思います。国連決議に基づいていないからインド洋での給油活動はやめるが、国連決議に基づき国際的に認知があるISAFを支援するために自衛隊を派遣しようとなれば、これは怖いと思っているわけです。ISAFはいろんな地域に展開していますから、得意=@の「非戦閑地域」へという言い方をするのかもしれないが、すでにお話したように、どこが戦闘地域か非戦閑地域かもうわかりません。

NG0活動と軍による復興活動

 (1)「美しい誤解」のうちに真の支援を

 それからもう1つは、基本的に中立を原則にして村人に受け入れられることによって活動できているNGOの問題です。
 NGOもけっこう殺されています。年々それは増えてきていています。06年には35人のNGO職員が殺されています。アフガニスタンが世界で一番多い。
 もちろん急進的ゲリラなどはおそらく「外国人だったら誰でも」という点はあるかと思いますが、一方で南部、南東部などでは、NGO、国際赤十字、アフガニスタン赤十字などはタリバーンとコンタクトを取りながら、安全に活動できる領域を確保しようとしてやっています。それが米軍の影を後ろに背負って来たら必ずやられます。
 ISAFでも今の状態ではやられます。日本のNGOでは、狙われたり、誘拐をされたことは今のところありませんが、すでにISAFの多国籍軍メンバー国のNGOはほとんどやられています。
 国際NGOは、米軍がNGOの活動を支えるために護送をしようというようなことを言い出したとき、猛反発しました。それでは余計に危険である、絶対にイヤだという声明を出しましたが、そういう状況です。
 これはどこまで関連性があるかはわかりませんが、日本はちょっと特殊な立場にあるというふうにアフガニスタンの人びとから見られています。村々に行けば、この人たちは国際的な情報をどこまで知っているだろうかという疑うような村のおじいちやんですら、日本の私たちに対してはけっこう親近感を持つのです。そして、どこへ行ってもいつも判を押したように日本の援助は他の国の援助とちょっと違う。一番私たちは感謝している=@と言われます。NGOに対してなのか、(日本)国に対してなのか彼らはあまり区別しないということもありますが…国も含めてでしょう。なぜですかと訊くと、「日本の援助は軍事的な野心がない」と言うわけです。他の国は、援助はしているが軍隊も派遣している、奴らはどこか野心があると見るわけです。
 アフガニスタンの人びとは、長い間外国軍に翻弄されてきた歴史がありますから、批判的に見るのは当然だと思いますけど、ともかく日本の軍隊はアフガニスタンの国土にはいないわけです。だからODAも含めて純粋にアフガニスタンのためにやっていると比較優位に見られているのです。本当は違うのですけどね。でも今の段階では「美しい誤解」一在アフガニスタン日本大使が言った言葉(日本は今アフガニスタンの人たちに「美しい誤解」をもって受け入れられているという言い方をした)ですが、とても大事なことです。だから、「美しい誤解」のうちにほんとうの支援を行なって、アフガニスタンの人びとの心をつかまなくてはならないというのが私の言いたいことです。
 もし日本の軍隊、自衛隊がアフガニスタン国土に入ってきたならば、真っ先に日本のNGOである私たちがやられるでしょう、他の国のNGO以上に高いでしょう。なぜならば、期待が幻想に変わった反発は大きいからです。

(2)PRTの問題

  NGOの活動に混乱をもたらしているのは、もう一つの軍隊=PRT(Provincial Reconstruction Team地域復興チーム)の問題です。これもわかりにくい問題です。
 PRTは、もともとアメリカが03年の秋に、人道復興活動をする部隊として100人規模の部隊を、全県に展開しようとして始めたものですが、今では米軍だけではなくISAFにも部隊があります。基本的にはPRTも外国軍ですから、ISAF=NATOの管轄になりますが、実体は、各国の部隊の下にPRTがあります。全国22の地域でPRTが展開されています。
 南部はいまイギリス軍に移管してきていますが、JVCがいる南東部と東部地域は、アメリカ軍が力を入れてPRTをやっています。
 PRTは一応軍隊です。ただその中に民間人を入れたりして復興活動をするという建前で活動していて、町中でも地方でも色んな活動をしています。橋を作ったり、学校を作ったり、井戸を掘ったりするわけです。
 NGOは、PRTが設立される当初から「せめてこれだけの原則は守ってくれ」と交渉し、かつ批判もしてきました。PRTの全部を否定はできないが、「復興活動だけはしないでくれ、治安を維持するという活動だけしてくれ」というような声明を出した時期もありました。要はNGOであれ何であれ、復興活動を担う外国人、外国のグループが軍隊と一緒に活動していると見られる恐れがきわめて高くなるからです。NGOは、たとえタリバーンがいても、その地域でその地域の人たちがコンセンサスをとるのであれば支援をするという原則でやっているわけですが、軍隊までが復興活動でNGOと同じようなことをやってしまうと、NGOも軍隊に連なっているのかというふうに思われるわけです。
 05年にクナール県のある郡で、私たちは医療活動をしていたのですけが、その郡の診療所が米軍のPRTによって占拠されて、
 スタッフが追い出されました。そして米軍のPRTがやったことは、診療所のホールを使って、住民に薬を配ったり、シャンプーや石鹸を配ったりしました。薬を配るというのはとんでもない話で(1人残っていた現地スタッフの看護師が逐一見ていました)抗生物質、鎮痛剤など妊婦や子どもが飲んではいけない薬を配ったりするわけです。バラまきですから診療活動でありません。実に危険なことです。PTRはその診療所に泊まって、夜は射撃訓練して、翌日帰って行くということをやったわけです。本当に怒り心頭に達しました。私もこの実態をレポートに書いてさまざまなところに提出しました。それで先程述べた米軍との交渉にもなるのですが…。PRTは、そういうことをやっているわけです。
 米軍のPRTは、人道活動、復興活動だと言っていますが、基本的には軍事活動です。宣撫活動、ハート・アンド・マインドというやつです。住民を味方につける、味方につかない住民にはモノをやらないわけです。カンダハルのある地域では、タリバーンに関する情報を出せ。出さなければ支援を与えない=@というビラが撒かれていました。明らかに軍事作戦です。
 私たちの占拠された診療所でも、書類が物色されていました。情報収集活動です。
 中立であったはずの診療所が、いつの間にか軍事の一環にすげられてしまいますから、私たちNGOがその後狙われる可能性がきわめて高くなってきます。だから私たちNGOは批判をするわけです。同じようにPRTに診療所が占拠されて、その米軍が去ってすぐに襲われた他国のNGOもすでにあります。
 私たちNGOは、軍は復興活動などしてくれるな、特に医療活動については、国際人道法で診療施設は軍事活動をしてはいけないと明確に規定されているのであるから、絶対やるな、と申し入れました。最終的には赤十字国際連盟が間に入って、米軍と交渉しました。米軍は特殊部隊も含めてすべての部隊に対してPRTは診療所で活動することを一切禁じるという命令書を出しました。交渉の1つの成果ですが、これで問題がなくなったわけではなく、その後も同じような事態は多発しています。
          □ □ □
 アフガニスタンの一連の複雑な状況の中で、とにかく対テロ戦争はアフガニスタンの状況を良くする方向ではなく、ますます悪化させているという認識をあらためて共有していきたいと思います。
 私は、以上お話したような事実を踏まえて、JVCとしてアフガニスタンにおける対テロ戦争に対する声明を出したいと思っていま準備しているところです。
 谷山さんから声明で触れる予定の5点についてのお話がありましたが、10月12日にJVCの「アフガニスタンにおける対テロ戦争と日本の軍事支援の見直しを求める声明」が公式に発表されましたので、その声明を転載させていただき、このお話の部分は割愛します。
 07年9月29日に開催された「憲法を生かす学習・交流集会」での谷山博史さんのお話を記録テープを基に文章整理して掲載しました。地名や固有名詞などの誤りや表記等に敵僻もあるかと思われますが、今後の学習等の中で修正・補強していきたいと思います。表題や見出しを含めて文章上の責任はすべて編集者にあることをお断りしておきます。2007年10月19日

 2007年10月12日
アフガニスタンにおける
対テロ戦争と日本の軍事支援の見直しを求める声明

特定非営利活動法人
日本国際ボランティアセンター(JVC)
  
 11月1日で期限が切れる「テロ対策特別措置法」の延長問題が国会の争点になっています。しかしアフガニスタンで行われている対テロ戦争の実情を踏まえた議論も、この戦争がいつどのような状態になれば終結するのかという出口戦略も議論されることなく、「米国支援」や「国際社会での責任」という言葉だけが一人歩きしています。

 私たちは27年にわたって紛争や貧困の現場で人道支援や開発協力に携わってきたNGOとして、またアフガニスタン国内で復興支援活動に携わるものとして、この機会にアフガニスタンで行われている対テロ戦争と、それを軍事的に支援する「テロ対策特別措置法」について意見を表明します。

 2001年9月11日にアメリカで発生した「同時多発テロ」事件の報復として始められたアメリカのアフガニスタン攻撃に対して、私たちは反対の立場を表明してきました。「テロ」という犯罪に対して国を相手にした先制攻撃を行うことは国際法に照らして違法であり、またアフガニスタンへの武力攻撃によって「テロ」を根絶することはできず、終わりのない憎悪と暴力の連鎖を生み出すことにしかならないと警告を発してきました。また日本政府がアメリカの有志連合の一員としてこの戦争に参加するために成立させた「テロ対策特別措置法」に対しても、対テロ戦争そのものの不当性の観点と、国際紛争を武力によらず平和的な方法によって解決するという日本国憲法の原則に立って反対の立場を表明してきました。

 対テロ戦争はアフガニスタンに平和も安定ももたらしてはいません。「テロリスト掃討」と称する対テロ戦争による民間人の犠牲者は後を絶たず、アフガニスタン人の間にこの戦争に対する疑念と反発が高まっています。また対テロ戦争を任務とする連合軍と、治安支援を任務とする北大西洋条約機構(NATO)指揮下の国際治安支援部隊(ISAF)が統合されたことでISAFまでが対テロ戦争の当事者となってしまい、戦争の泥沼化に拍車をかけています。さらにISAF/NATO指揮下の人道復興支援部隊である地方復興支援チーム(PRT)の活動が人道復興支援と対テロ戦争との境界を失わせ、NGOや国連など援助機関による人道復興支援の実施を困難なものにしています。

 こうした状況下、アフガニスタン政府・国会や民間人の間でも、多国籍軍やアフガン国軍に対する軍事行動の中止を、求め、ターリバーンを含む武装勢力と和平のための交渉を始めようとする動きが生まれています。一方でNGOやアフガニスタン赤新月社などの援助機関は武力対立と−線を画し、中立と公正の原則を維持することで人道・復興支援を実施しています。アフガニスタンに地上軍を派遣していない日本政府の支援もアフガニスタンでは「中立」17とみなされる傾向が強く、高い評価を得ています。これには、日本の自衛がインド洋で対テロ戦争支援のために給油を行っている事実がアフガニスタンであまり知られていないという背景があります。

 今まさに、戦争を終結させるための取り組みと、軍事と切り離し融和と安定を促進するものとしての人道・復興支援が同時に求められています。

 以上の状況に鑑み、私たちは国際社会と日本政府に対して以下のことを訴えます。

1)国際社会と日本政府はアフガニスタンで行われている対テロ戦争を見直し、敵対勢力やパキスタン、イランなど周辺国を含むすべての紛争当事者と包括的な和平のための協議を始めるべきです。注1.

2)国際社会はすでにパキスタンやアフガニスタン一部地域で試みられた紛争当事者による休戦協定や和平協定の取り組みを検証し、このような取り組みが成果を積み重ね、和平の環境が地域から醸成されるよう支援すべきです。注2注3

3)日本政府は「テロ対策特別措置法」を継続せず、アフガニスタンにおいていかなる形であろうと自衛隊による協力ではなく上記包括的な和平に向けた政治的なイニシアティブを発揮するべきです。同時にNGOや国連、アフガニスタン行政と協力して地域の融和と安定を促進する復興支援にこれまで以上に力を入れて取り組むべきです。

4)国連、NATOおよび各国政府は対テロ戦争との境界が失われた現在のISAFの役割と活動を見直し、治安の側面支援という本来のミッションに戻すべきです。

5)NATO/ISAFおよび各国政府は、PRTによる復興支援活動を止め、PRTの役割をISAFの本来のミッションの枠内での治安支援活動に特化すべきです。

 注1.国連事務総長談話:「カルザイ大統領とアフガニスタンの指導者は、国民的和解に向けた包括的な政治対話をもっと促進して欲しい」2007年9月25日 朝日新聞
注2.2006年9月、パキスタン北西辺境州北ワジリスタンで地元部族指導者の仲介によってターリバーンとパキスタン国軍が和平協定を締結。クーリバーンのアフガニスタン国境の越境禁止、パキスタン国軍の北ワジリスタンからの撤退、地元部族指導者による自治の強化などが合意された。北ワジリスタン方式の「ピース・ジルガ」(和平会議)と呼ばれる。この方式をパキスタンのムシヤラフ大統領はアフガニスタン国境地域全域に拡大する方針を示すと同時に、カルザイ大統領やプッシュ大統領にアフガニスタンでの和平プロセスとして推進する方式として推奨した。その後アフガニスタンとパキスタンの双方でピース・ジルガ開催の準備を管掌するピース・ジルガ委員会が設立された。
注3.2007年2月、アフガニスタン・ヘルマンド県ムサカラ郡で、地元部族リーダーの仲介でターリバーンと英軍が停戦協定を締結。ターリバーンと英軍双方の撤退と地元部族リーダーによる自治の強化が合意された。3月には早くも協定は崩壊、ターリバーンがムサカラ郡に侵攻し占拠した。協定崩壊の原因は英軍が進入禁止地域で行った空爆によってターリバーンの司令官兄弟が死亡したためという報道もあるが、定かではない。

憲法を生かす会運動の課題と取り組みについて

2007年9月29日        
憲法を生かす会関東連絡会
1.政治情勢と課題

 *7月参院選挙の結果(参院の与野党逆転・「ねじれ国会」に)、戦後レジームからの脱却を掲げ「正面突破」をめざした安倍首相の改憲策動は頓挫しました。自民党の描いた改憲スケジュールは後退し、「柳井懇談会」をテコにした集団的自衛権行使へ踏み出す作戦も政治テーブルに載せられなくなっています。
*そして前代未聞、安倍首相の突然の辞任で、「チーム安倍」から派閥領袖が居並ぶ「チーム自民党」福田内閣へと政権が変わりました。福田政権の政治姿勢および基本的な政策については、その全体の姿は未だ曖昧です(10月1日に首相所信表明演説)が、最大野党・民主党の対応を含めて衆院解散・総選挙へ「政局」が激しくなっていくでしょう。
*168臨時国会の焦点であるテロ特措法延長は、期限(11月1日)までには不可能になっていますが、あくまで自衛隊が洋上給油を続けるために「新法」が出される動きとなっています。福田内閣はそのためのシフト(高村外相、石波防衛相)を敷きました。新法案は、10月半ばから実質的な審議に入ると言われています。テロ特措法廃止から自衛隊をアフガン(イラク)から撤退させる闘いで、まず福田内閣と対決し闘いましょう。その中で福田首相の強調する「信頼回復」や「話し合い」政治の中身が何であるのか暴露しましょう。
*改憲派、支配層の改憲への執念は軽視できません。ですから、7月参院選挙(そして改権交代)で生まれた、近い将来に想定される改憲国民投票までの「時間」を財産として、護憲運動総体と憲法を生かす会の組織・運動の強化に全力をあげなくてはなりません。

2.憲法を生かす会関東連絡会の基本的取り組み

  −「存在感のある運動」を追求していきます

 @護憲運動総体の強化へ「共同」の運動や「協働」の作業へ私たちも汗を流します。同時に、憲法を生かす会の組織と運動のいっそうの強化を図ります。
A憲法を生かす会は、「非武装(武力によらない平和)」の思想・考えを堅持し、深めます。その理解と支持を広げる努力をします。日本の「武力・軍隊によらない国際協力のあり方」等について学習や交流を取り組みます。

B憲法を生かす会の運動は、9条護憲に「特化」するのではなく、県や地域、組織状況等の条件にあわせて「幅広い」テーマ(25条、労働問題、教育問題、戦後補償問題、戦争体験の記録、ヒロシマ・ナガサキ、沖縄との連帯etc…)で運動づくりに取り組みます。労働組合へ(内で)運動を広げることを積極的に進めます。
C地域や職場で具体的な活動をつくり出しましょう−交流会や学習会、フィールドワーク・レク、署名活動など具体的な目に見える活動を「目標」をもって進めましょう。


3.憲法を生かす会関東連絡会の具体的な取り組み(07年秋季から)

 @11・3憲法集会
 東京では、従来の憲法共同会議(CCC)ではなく、平和フォーラムを含めた「1日集会実行19委員会」の主催で、日比谷野音で開催されます。東京、神奈川(午前中の神奈川の行動後に)はこの集会に参加します。

*各県の取り組みの成功へ
*11・3憲法集会の取り組みと併せて、請願署名(5・3憲法集会実行委員会)を取り組みます。
 11月3日を第1次〆切りとします。
Aパトリオットミサイル(PAC3)配備及び移動・展開訓練反対運動
*埼玉(入間)、茨城(霞ヶ浦)、千葉(習志野)、神奈川(横須賀)に配備、首都での移動・展開訓練 → オール関東的地域
*MD計画反対、訓練をテコにした有事体制づくり反対、自治体の平和行政を、などの要求で、連携して運動として取り組んでいきます。
*当面、9月30日習志野市民反対集会・行動への参加、東京都への申し入れ等を取り組みます。
B横須賀原子力空母配備(08年、GW)・母港化反対運動
*オール関東的問題(放射能被爆危険範囲からしても)、神奈川と連携してオール関東として反対運動に取り組んでいきます。
*具体的な活動・行動としては…別途に検討します。
Cテロ特措法廃止・新法廃案へ−アフガン・イラクからの自衛隊の撤退を、海外派兵反対の運動*東京の行動(院内集会、国会前行動など)について、その案内や情報を共有します。近県からの可能な参加を努力します。
*当面、10月25日、12時15分〜国会へ昼休みデモ(5・3実)→院内集会(13時30分〜、参議院議員会館第2・3会議室)、主催は、5・3憲法集会実。
*各県・各地で反対の宣伝行動を取り組みます。
D憲法審査会ウォッチー当面は、「始動させない」運動
*監視及び節目節目の対応(院内集会、国会行動、集会・デモ等…)について案内や情報を共有します。
*各県で「けんぽう市民ファーラム」(旧憲法調査会市民監視センター+専修大学社研の学者・研究者)への入会(5,000円)を検討します。
11月16日(金)18時30分〜シンポジウム<山内敏弘さん、ピース・デポの梅林さん>(専修大学神田校舎)
*「始動させない」請願署名(団体署名)を取り組みます。
E9条世界会議(08年5月)への賛同、協力をします。
*各県で賛同者を募ります。
*幕張メッセの「集会」やイベントに参加します。
F「市民連絡会全国交流集会」に協力、参加します。
*08年2月16〜17日、東京で開催されますので、各県からの参加を追求します。
G憲法を生かす会関東連絡会の総会(=交流集会)開催を計画します。
*「東日本」レベルの連絡と連携づくりを進めます。
*ニュースの発行、HP(栃木、千葉)の活用
                                                − 以上

憲法を生かす会関東連絡会が開催した「憲法を生かす学習・交流集会」(9月29日)で運営委員会が提案し「確認」された「07年秋季」からの「活動方針」です。各県・地域の活動(予定も)情報についてお寄せ下さい。

緊急声明

 軍事政権はただちに民衆への弾圧をやめ、民衆の声を聴き民主化を実行せよ

 ミャンマー(ビルマ)軍事政権は、全土に広がる僧侶と民衆による平和的なデモに対し銃を発砲し、多数の死傷者を出している。ヤンゴンで取材中の日本人ジャーナリスト・APF通信社の長井賢司さんも「治安部隊」に至近距離から撃たれて死亡した。また軍事政権は、国民民主連盟(NLD)事務所や寺院を急襲し、破壊し、多くの人々を拘束した。
 私たちはミャンマー軍事政権に対し、ただちに僧侶、民衆への弾圧をやめ、民衆の声を聴いて、すみやかに真の民主化を受け入れるよう強く求める。
 今回の僧侶たちの行動に触発された民衆の抗議、デモンストレーションの拡大は、軍故による燃料費の大幅値上げが直接の契機であったが、1988年の「血のクーデタ」以来、約20年に及ぶ軍事独裁によって自由と人権を奪われてきた民衆の不満と怒りが爆発したものである。

 1990年の総選挙でアウン・サン・スー・チーさんが率いるNLDが圧倒的に勝利したが、軍部は「新憲法制定」を口実に選挙結果を否定し、スー・チーさんをはじめNLD幹部や民主派を大量に逮捕、拘束してきた。最近、「ミャンマー国民会議」は、新憲法の基本原則を採択したというが、これから起草される新憲法には、政府における軍の役割が盛り込まれ、退役軍人も大統領になれるとする−方でスー・チーさんは排除され、国会議席の4分の1は軍司令官が指名した軍人になるといわれている。これでは軍政の延長にほかならない。

 ミャンマー軍事政権はこれまで、国際社会の声をまったく無視し続け、スー・チーさんの軟禁を続けている。1988年の国連人権委員会への特別報告官のレポートは、軍政による人権と民主主義の破壊、民衆の生命と生活の無視がいかに広範で深刻なものであるかを具体的に物語っているが、それ以来、今日まで、状況は何も改善されていない。軍部は、暴力と恐怖で民衆を支配することはいつまでも続かないことを知るべきである。

 私たちは、ともにアジアに生きる者として、ビルマ民衆の苦悩と軍政に対する抵抗に共感を寄せる。ともに平和なアジアをめざすために、ビルマの民衆に連帯の声をあげ、支援の手をさしのべる。
 スー・チーさんの解放とビルマ民衆に自由を!ミャンマー軍政は民衆に対する弾圧をただちにやめ、民衆の声を聴き、真の民主化を受け入れよ。
2007年9月29日               
憲法を生かす学習・交流集会参加者一同
憲法を生かす会関東連絡会        

憲法を生かす会 関東連絡会連絡先
:中央区日本橋3−5−12吉野ビル5階 Tel 03−5269−4847
千葉:千葉市中央区新千葉2−1−1−401 Tel 043−244−3860
茨城:水戸市桜川1−5−3岩上ビル2階   Tel 029−233−1110