問われる「平和」の意味
体験者も改正に賛否
「上手になったね」
前国分寺町長の若林英二さん(81)が声を掛けると、もちの包装紙に絵付けをしていた少女は、穏やかな笑みを浮かべた。
同町の知的障害者授産施設「工房つばさ」。若林さんは工房を運営する社会福祉法人「はくつる会」の理事長を務める。
「障害者に働く喜びを感じてほしい。でも、来年から利用者の自己負担が増える見込みで、収入が少ない障害者には厳しくなる。いつも苦しむのは、名もなく弱い立場の人たちなんです」
若林さんは険しい表情で言った。「あの戦争もそうだった」
■死と隣り合わせ
太平洋戦争末期の一九四四年。二十歳の若林さんは「北支派遣軍」の一員となり、旧満州(中国東北部)などを回った。
兄は南方戦線で戦死した。二十五歳だった。地元の小さな集落でも、戦死者が相次いでいた。
「軍国教育を受けていたので、戦争を憎む気持ちはなかった」。だが、軍隊生活は「三日で地獄と分かった」。死と隣り合わせの日々。終戦時には涙が出た。「命が助かった喜び」はあったが、言葉には出せなかった。
その後、四六年十一月に現憲法が公布され、九条に象徴される「平和憲法」の重みを実感した。
「人権を尊重し、戦争を放棄する。宝石のように輝いて見えた」
七三年に町長に当選、県内最多の七期を重ねた。自民党国会議員や県議の後援会長を務め「保守政治に尽くしてきた」。
そして戦後六十年−。
平和の意味が問われる中、政治は大きくかじを切ろうとしている。
衆参両院の憲法調査会は、改憲の方向性を打ち出した。焦点の九条は、一項「平和主義」を堅持しながらも、衆院は二項「戦力不保持」を「自衛権、自衛隊について憲法上の措置を取ることを否定しない意見が多数」と改正をにじませた。
自衛隊は既にイラクで活動している。「九条改正が既成事実化してしまう」。若林さんはイラク派遣違憲訴訟の原告団に加わった。「非戦を訴えることが、戦争体験者の務めだと思うから」
■「国を守るため」
テレビ画面の中で、引き締まった表情を見せる隊員たち。
「彼らは覚悟を決めて行っているのに、日本の政治は腰が定まらない。きっと奇妙な感覚で任務に就いているんだろう」
県内在住の七十代の元自衛官は、イラクで復興支援活動をする自衛隊員の心中を思いやった。
「政治の責任で、自衛隊はずっと冷や飯を食べてきた。国力に見合う国際連帯活動ができるよう、九条を改正すべきだ」
海軍兵だった。「戦争の悲惨さは知っている。仕掛けてはいけない。だが、仕掛けられたらどうするか。平和主義は国是として維持し、当面の国家戦略として、国を守るための戦力保持を明記すべきだ」。力説した後、こう付け加えた。
「ただ、改憲論議が国民不在ではいけない」
自民党は今秋、改憲草案をまとめる。「主権者」である国民が議論を深めるのは、これからだ。
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