自民革新憲法草案の要点
     
      2005年10月28日に発表された草案についてのコメント
                                     2005年11月4日 憲法を生かす会 筑紫建彦
ライン
もくじ
前文
第1章 天皇  第2章 安全保障
第3章 国民の権利及び義務
第4章 国会 第5章 内閣
第6章 司法 第7章 財政 第8章 地方自治 第9章 改正
第10章 最高法規
民主党「憲法提言」のコメント
「未来志向の憲法を構想する」 −民主党の改憲論には「改意が必要な根拠」がない
「国民主権が活きる新たな統治機構の創出のために」−アブナイ「強力な統治機構」論
「『人間の尊厳』の尊重と『共同の責務』の確立をめざして
           −立法・行政の無責任を改憲論に持ち込む

「多様性に満ちた分権社会の実現に向けて」
          −改憲よりも、まず住民自治の行動と立法を

−9条の「平和主義」の否定と破壊
自民党新憲法草案」の分析と批判 「改憲手続き法案」の問題と批判「改憲手続き法案」の問題と批判

ライン
自民党「新憲法草案」を検討する           古川  純(専修大学)
はじめに−自民党「新憲法草案」への道
1.「新憲法草案」の特徴を概観する
2・「戦争の放棄」から「安全保障へ」−自衛軍・国家緊急権・軍事裁判の正当化へ
3.憲法改正の発議・議決要件の緩和   4.草案の問題点その他
おわりに−なぜ「新憲法」か
ライン
前文
 日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。
 象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主我と国際協調主義の基本は、不変の価値として継承する。
 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支える責務を共有し、
自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。

 <問題点>
 @自民党の前文草案は現行憲法の前文に比べ、ほぼ半分の長さである。自民党議員らは現行憲法の前文を「翻訳調で日本語的でない」「格調が低い」などと非難してきたが、8月1日の「新憲法草案(第1次)」には「前文」は欠けていた。7月7日の「新憲法起草委員会・要綱(第1次素案)」では、「自民党の主義主張を堂々と述べる」「基本理念をより簡潔に記述し直す」「国家目標を高く掲げる」「国の生成発展について記述」「日本史上初めて国民みずから主体的に憲法を定めることを宣言」「正しい日本語で、平易ながら一定の格調をもった文章とする」などが「前文作成の指針」とされていた。今回の草案は「自民党の主義主張」で「簡潔」かもしれないが、粗雑で危険な解釈が可能な言葉の羅列になっている。
 A自民党草案の前文が明らかにしているのは、単なる「憲法改正」ではなく「新憲法制定」の立場である。現行憲法の前文には「(この憲法に)反する一切の憲法、法令及びしょう詔勅を排除する」とあるが、自民党草案はその規定を無視、破棄しようとするもので、それ自体が憲法違反と言いうる。
 B「象徴天皇制」という言葉が何の定義もなく使われ、「これを維持する」とされているが、「象徴天皇制」という言葉は俗語あるいは略称にすぎない。起草者の姿勢の安易さを示している。
 C「不変の価値として継承する」とされているものには、「国民主権」と「基本的人権の尊重」のほか、「民主主義、自由主義、平和主義、国際協調主義」という言葉が羅列されている。しかし、これらの解釈は実に多義的であり、この「主義」という言葉では、これらの概念は何も明らかにならない。
 D「帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支える」ことが「国民の責務」として盛り込まれている。要するに「愛国心」(と愛郷心)の押しつけである。また「気概をもって自ら支える」とは、9条改憲により「国防協力」「海外派兵支援」を、また12条(国民の責務)、13粂(個人の尊重)、29条(財産権)の改定により「公益及び公共の秩序」への奉仕・従属を求める布石として読める。
 E「社会の発展」「福祉の充実」「教育の振興」「文化の創造」「地方自治の発展」などは、抽象的な言葉の羅列にすぎない。

 第1章 天皇
 <問題点>
@天皇条項では、現憲法の規定がほぼそのまま踏襲されている。「天皇の権能」や「国事行為」について文言や条項を再編した程度である。
A自民党内で声高に主張されていた「元首化」や、第1次素案が留意すべきとしていた「象徴としての公的行為」は盛り込まれていない。民主党などとの合意や世論への配慮のための「戦術」と思われる。

第2章 安全保障←(戦争の放棄」)
第9条(平和主義)−(「戦争の放棄、戦力・交戦権の否帯」)

 第1項(現行憲法と同じ)
9条の2 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
2 自衛軍は、前項の規定による任務を連行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 自衛軍は、第1項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、または国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
   4 前2項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。

 <問題点>
@自民党草案の最大の核心部分は第9条にある。現憲法の第2章のタイトル「戦争の放棄」は、自民党草案では第2章「安全保障」と変えられ、第9条の「戦争の放棄、戦力・交戦権の否認」は「安全保障と平和主義」に変えられている。
A草案の9条1項は、現行憲法の規定のままとなっている。この点は8月1日の「第1次草案」では、現憲法前文にある「諸国民の公正と信義」や「恒久の平和」、現9粂1項にある「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」などの言葉を取り込みつつ、「平和主義の理念を崇高なものと静める」と、単なる「容認論」にしてしまっていた。そして、現9条1項の「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」の永久放棄については、第2項に文言を一部変えて移し替えていた。この現9条1項の「分割」には「国際平和」の言葉を悪用する狡猾な狙いが込められているが、今回の草案では単純化された。
 B自民党の「9条の2」案では、「武力による平和」「武力による安全」の立場が打ち出されている。また、その「安全」は「国」と「国民」とが別のものとして規定されている。
武力による以上、もはや「戦力ではない」はずの自衛隊ではなく、戦力としての「自衛軍」とされている。これにともない、現行憲法9条2項の「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」「国の交戦権は、これを認めない」という規定は削除されている。
 C「9条の2」実の3項では、「自衛軍」の任務に「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」と「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」が加えられている。前者は、「国際の平和と安全」という名目の下に、「自衛軍」の海外派兵による武力行使を憲法で公式に静めようとするものである。ここには民主党などの主張にある「国連安保理決議」という派兵と武力行使の要件さえない。「国際的に協調して行われる活動」とは、「米国と協調して行う活動」や「米国中心の多国籍軍と協調して行う活動」をも含みうるものとなる。これは日本が軍事的覇権国家になるという宣言にほかならない。また後者は、現在自衛隊法に規定されている「治安出動」のような活動を憲法に明記しようとするものである。
 Dなお今回の自民党草案には、8月1日の第1次案にあった「『自衛軍』の活動は『自衛のため必要な限度で』という表現もない。しかも自民党内では、「『自衛』には集団的自衛権の行使も含まれており、改憲に対する抵抗を減らすため、あえて明記する必要はない。解釈によって行使すればいい」という主張が有力である。すでに「日本の平和と安全(狭義の自衛)は国際の平和と安全に結びついており、そのためには日米同盟が枢要」という論理がまかり通っており、自民党草案は、同盟国である米国の戦争や多国籍軍による武力行使への参加を「広義の自衛」として憲法上容認する立場である。なお「集団的自衛権」にあえて言及しないことは、これに反対している民主党との合意を得やすくし、「国際的に協調して行われる活動」も、民主党が主張する「国連主導」とのすりあわせを容易にする布石も読みとれる。
 Eしかし、自民党草案が9条1項をそのまま残したことによって、別の矛盾が生じる。9条1項は「国際紛争を解決する手段として」の武力による威嚇、武力の行使は「永久に放棄する」と規定している。集団的自衛権行使(日本が攻撃されていないのに、同盟国など密接な利害関係がある国が攻撃された場合に、その攻撃を日本も武力で撃退する)の対象状況は、まぎれもない「国際紛争」であるから、集団的自衛権の行使は9条1項に明白に違反する。歴代政府が解釈改憲でも超えられなかったのは、このためである。したがって、自民党が「自衛権」の解釈で集団的自衛権の行使も可能というのは、9粂1項との関係で重大な矛盾に陥ることになる。
 F「自衛軍」の保有に関連し、自民党草案は第6章「司法」に「軍事裁判所の設置」(76条3項)を置いている。これにより「特別裁判所は設置することができない」という現76条2項に大きな穴が開く。軍事裁判所は「軍事に関する裁判を行う」とあるから、自衛軍の将兵の犯罪や自衛軍自体の犯罪は一般裁判所にかけられなくなり、「自衛軍内部の裁判」に取り込まれてしまう。一応、「下級裁判所として」となっており、上級審に提訴できる仕組みにはなっているが、最も重要な第1審が密室化することになろう。

第3章 国民の権利及び義務
第12条(国民の責務) 国民はこれ(自由及び権利)を濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する兼務を負う。
第13条(個人の尊重等)生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第29条(財産権)財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。

<問題点>
@国民の権利・義務に関する自民党草案の特徴は、現行の第12条に「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ」という文言を挿入し、自由や権利に「責任・義務」として大きく制限を加える根拠にしようとしていることである。
 A現行憲法では、自由と権利を制約する条件は「公共の福祉」にとどめられているが、自民党草案はこれを「公益及び公共の秩序に反しない限り」という文言に変えている。「公共の福祉」と「公益及び公共の秩序」とは同じではない。「公共の福祉」が諸自由・諸権利の間の調整規定とみなされているのに対し、「公益」は権力者によって「国益」とか「統治機構の法益」と解されやすく、「公共の秩序」となると、法令や制度、行政の命令・指示・勧告なども含みうることになろう。つまり自民党草案では、近代憲法が保障する最高の価値であるはずの基本的人権としての「個人の自由と権利」が、統治機構の法益と秩序の下位のものとされ、その許容範囲でしか存在できないものになっている。
 B自民党議員らが要求してきた「国防の責務」の言葉は草案には入れられなかったが、「公益・公共の秩序」に服従することが国民の「責任・義務」となれば、その延長線上で「国防の責務」が強制されることになるのは必至である。すでに「有事法制」とその「国民保護法制」には数多くの「国防の義務・責務」が規定されており、それが「公益及び公共の秩序」とされる構図がすでにできている。

 第20条(信教の自由)3項 国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。
 第89条(公の財産の支出及び利用の制限) 公金その他の公の財産は、第20条3項の規定による制限を超えて、宗教的活動を行う組織又は団体の使用、便益若しくは維持のため、支出し、又はその利用に提供してはならない。

 <問題点>
 @現行憲法は、第20条(信教の自由)3項で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定している。この規定は、靖国神社への首相、閣僚、国会議員らの参拝はもとより、各地の護国神社や地鎮祭での参拝・神事に行政や公務員が公式に参画することに対する禁止規定として存在し、その違反に対して各地で訴訟が起こされてきた。自民党草案はそれを、「国及び公共団体は、社会的儀礼の範囲内にある場合を除き」という解除規定を加えることによって、国(政府)や自治体などが宗教教育や宗教的活動をすることができるようにしている。これでは政教分離の原則は崩壊することになり、「社会的儀礼」という名目さえつければ、靖国神社の公式参拝も各地での護国神社などへの首長の公式参拝や公金支出も「憲法上許される」ということになる。
 Aさらには、この条項には国・公共団体による「宗教教育」も含まれているから、政府・自治体などによる「天皇神話」の教育や、米国で見られる特定宗派の教義(進化論の否定など)の教育にも進みかねない。

 第14条(法の下の平等) すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。
 第19条の2(個人情報の保雄等) 何人も、自己に対する作報を不当に取得され、保有され、又は利用されない。
 第21条の2(国政上の行為に関する説明の責務) 国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う。
 第25粂の2(国の環境保全の責務) 国は、国民が良好な環境の恵沢を享受することができるようにその保全に努めなければならない。
 第25粂の3(犯罪被害者の権利) 犯罪被害者は、その手厳にふさわしい処遇を受ける権利を有する。
 第44条(議員及び選挙人の資格)(両議院の議員およぴその選挙人緒資格は)人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。

 <問題点>
 @いわゆる「新しい権利」の導入である。しかしこれらの権利は、現行憲法に規定がないために保障されてこなかったのではない。逆に現行憲法は、「国民主権」「基本的人権」「個人の自由」「健康で文化的な生活を営む権利」「法の下の平等」などの規定によって、「人格権」を保障し、「障害」者に対する差別を禁じ、「良好な環境を享受する権利」を認め、行政などの情報を国民が「知る権利」を認めてきた。だから問題は、これらの権利を十分に保障せず、憲法に「その単語」がないことを口実に、立法や施策を怠ってきた国会・政府や社会にある。これらの権利を発展・実現しようとすれば、現行憲法下でも立法・施策によってできるのに、一貫してそれに否定的・消極的だった自民党が、それを盛り込むことで(しかも不十分に)自分の新憲法草案を売り込もうとしているのは、他の重大な危険性を隠す「粉飾」である。
 A(法の下の平等/議員及び選挙人の資格)一現行憲法に「障害の有無」の文言がないことを理由に「障害」者が差別されてきたのではない。また「障害の有無」が議員・選挙人の資格要件となったこともない。
 B(個人情報の保護等)−自民党草案のこの規定は、個人のプライバシー権保護という側面と、公人の情報の取り扱い(とくに報道・出版における)の制限にも働くという両面がある。この点では、自民党草案が「言論、出版・表現の自由」との関係に触れていないのも象徴的である。
 C(知る権利)一自民党草案は「国の国民への説明の責務」を掲げているが、「国民(人びと)の知る権利」として明記はしていない。あくまで国の「努力義務」としての規定にすぎない。
 D(環境権)−「国の保全努力」規定であり、「国民(人びと)の環境権」としては考えられていない。
 E(犯罪被害者の権利)−これとの関係では、「災害被災者の生活と権利」も問題となろうが、自民党草案にはない。犯罪被害者も被災者も、現行憲法の「個人としての尊重」や「健康で文化的な生活」において救済・支援される権利があるのだが、政府・自民党はそれを怠ってきた。

第4章 国会
第54条 第69条(不信任案の可決、信任案の否決)の場合その他の場合の衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。
第63条の2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、答弁又は説明のため議院から出席を求められたときは、職務の遂行上やむを得ない事情がある場合を除き、出席しなければならない。
 第64条の2 国は、政党が議会制民主主義に不可欠の存在であることにかんがみ、その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない。
    2 政党の活動は制限してはならない。
   3 前2項に定めるもののほか、政党に関する事項は、法律で定める。

 <問題点>
 @現行憲法では、衆院解散については、内閣の助言と承認による天皇の国事行為としての解散(いわゆる7条解散)と、衆院における不信任案の可決または信任案の否決の場合の解散(69条解散)の2つのケースの規定があるが、自民党草案は7条を「6条の2」とし、69条はそのままにした上で、さらに54条1項として「衆議院の解散札内閣総理大臣が決定する」を加えるという。これは7条(自民案は6条)にも69条にも限定されない、これまで以上に「自由な(恣意的な)解散権」を首相に与えることになる。小泉首相が郵政民営化法案で見せた国会への脅迫・恫喝の力の強化である。
 A現行憲法63条では、首相や閣僚は議院に出席を求められた場合、「出席しなければならない」と出席が義務規定となっている。しかし自民党草案は、「職務の遂行上やむを得ない場合」が理由なら出席しなくてもいい規定になっている。この規定が悪用されれば、首相・閣僚は都合の悪いときは出席せず、事実上答弁を拒否することができる。
 B自民党草案は「政党条項」を盛り込んでいる。「国は、改党の活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない」という規定は、政党活動の公正さや発展を「国=政府=与党」が掌握することになりかねない。これに基づき「政党法」ができれば、すべての公認政党の組織、党員、財政などの情報は事実上、「政党の健全な発展に責任=権限を持つ国」が常時把握することになろう。64条2項では「政党の政治活動の自由は、制限してはならない」というが、1項の解釈や「自由及び権利には責任および義務が伴う」「公益及び公共の秩序」という制限規定は政党に対しても適用されることになろう。

 第5章 内閣
 第54条 第69条の場合その他の場合の衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。
 第65条 行政権は、この憲法に特別の定めのある場合を除き、内閣に属する。
 第73条 内閣は、他の一般行政事務の外、次に掲げる事務を行う。
   6 法律の規定に基づき、政令を制定すること。ただし、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、義務を課し、又は権利を制限する規定を設けることができない。

 <問題点>
 @衆議院の解散については、(1)現行憲法7条3項に、天皇の「内閣の助言と承認による」行為(いわゆる「7条解散」)として、また、(2)同69条に、「衆議院が不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき」(「69条解散」)の2つの規定がある。
7条解散も事実上、首相の意思による解散だから、首相は2つの方法で解散権を持っている。
これを自民党草案は、現行7条を6条2の三号に移し、「54条1項の規定による決定に基づいて衆議院を解散すること」として、69条解散以外の「その他の場合」でも、首相がいつでも、どんな理由でも解散できる権限を持つことを明記している。
 A現行憲法は、「行政権は、内閣に属する」と規定しているが、自民党草案は、「この意法に特別の定めのある場合を除き」として、(1)衆院の解散権、(2)行政各部の指揮監督権、(3)自衛軍の指揮権を「内閣」ではなく首相が単独で握ることを明確にしている。
 B政令に関しては、現行憲法は「ただし書き」で、「政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない」と規定している。国会は「唯一の立法機関」(41粂)だから、法律実施の細目を決めるような「執行命令」以外の「委任命令」は、極力少なくすることが必要である。しかし自民党草案は、「罰則」だけでなく「義務を課し、又は権利を制限する」事実上の立法行為も、法律の委任があればできるように変えようとしている。これは憲法上の権利・義務のあり方を法律ではなく、制令で決める権限を内閣に与えることになる。
 Cこのように首相の権限を強化することは、ただでさえ強くなっている行政権を事実上の「国権の最高機関」にしてしまう危険性を持つ。

 第6章 司法
 自民党草案のこの章では、文言の整理だけで現行憲法の規定がほぼそのまま踏襲されている。しかし、ただ1点、第76条2項の「特別裁判所は、これを設置することができない」という規定を残しながら、3項に「軍事裁判所を設置する」という規定を置いて、2項に大きな穴を開けている。

 第7章 財政
 第86条 2 当該会計年度開始前に(毎会計年度の予算案の)議決がなかったときは、内閣は、法律の定めるところにより、議決を経るまでの間、必要な支出をすることができる。
   3 前項の規定による支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。

 <問題点>
 @現行憲法では、毎会計年度の予算案は国会の議決を経ることが大原則である。しかし自民党草案は「2項」を追加し、会計年度の開始前に議決がなくても、内閣は自分が作った予算案で支出ができることにしている。これでは納税者の代表である国会の承認がない予算執行となり、財政民主主義の根幹が崩れる。国会が「天皇の内閣」の協賛機関でしかなかった明治憲法の制度への逆行である。
 Aなお、自民党の第1次草案では「継続費」を憲法に明記して単年度主義に大きな穴をあけようとしていたが、今回の最終草案では見送られた。これは現実に、軍艦や戦闘機、大型公共事業のように完成までに数年かかるものについては、名実ともに「継続費」として予算が組まれ、受注企業の利益を確保するとともに、国家予算の不透明化、硬直化の大きな要因となってきたものである。

 第8章 地方自治
 現行憲法では、1自治体にのみ適用される特別法の制定は、その自治体の住民投票の過半数を得なければできないことになっている(95条)。自民党草案は、この95条を削除している。それは、沖縄の米軍用地の強制使用を強化するための法律が「特別法」とはされず、「日米地位協定の実施に関する法律の一部改正」という「一般法」の形で制定されてきたように、政府・与党が憲法の規定を無視してきた「実績」から、95条は「用済み」と考えていることを示している。

 第9章 改正
 第96条 この無法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議に基づき、各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 <問題点>
 @自民党などが9条とともに改憲の主なターゲットの1つとしてきたのが、第9章の憲法改正手続きである。憲法は特別の最高法規であるため、改憲案の発議には「各議院の総議員の3分の2の賛成」が要件となっている。しかし改善派は、いつでも簡単に自分たちに都合よく改憲ができるように、改正手続きの緩和を主張してきた。自民党草案は、発議の要件を「各議院の総議員の過半数の賛成」にしている。
 A現行憲法では、改憲の是非を決める国民投票は「特別の国民投票又は国会の定める選挙(国政選挙)の際行われる投票」と規定されている。しかし現実には、大きな与野党の合意がなければ改憲案が発議できないことから、改憲派は与野党が争う国政選挙と同時に国民投票を行うと理解や支持が得られにくいと考え、「特別の国民投票」だけにしぼろうと主張してきた。自民党草案はそれに沿ったもの。
 Bなお、05年7月7日に出された「新憲法起草委員会・要綱(第1次素案)」では、国民投票は「有効投票総数の過半数とする」と記されていたが、今回の自民党草案ではそこまでは踏み込んでいない。それは憲法にまで書かなくても、「国民投票法」に盛り込めばすむからだ。
 C自民党草案は、「議員の発議」→「各議院の総議員の過半数の賛成で議決」→「国民に提案」→「国民投票」と書き、現行憲法の字句の並びも変えている。

 第10章 最高法規
 @この章は、自民党草案では現行憲法のまま。このうち97条の「基本的人権の意義」は、改憲派から「重複だ」とか「強調しすぎ」などの非難が浴びせられていた(読売新聞など)。しかし自民党は、これが理念規定である限り「無害」と考えたともみなしうる。また98条の「憲法の最高法規性」は、政府・自民党はこれまで解釈で違憲性の強い法令や行政行為を押し通してきたし、99条の「公務員の憲法尊重擁護義務」についても、実際はほとんど尊重も擁護もせずに政治をやってきた。だから「建て前」として、そのまま維持することにしたように見える。しかしこれは、「現状」からみた自民党草案の類推解釈にすぎない。
 A逆に、特に98粂、99条は、改憲されれば、その改悪された憲法の「最高法規性」「尊重擁護義務」として機能することになる。だから、意味がまったく変わる規定として維持されたと考える必要がある。

ライン

 民主党「憲法提言」のコメン
      2005年11月8日 憲法を生かす会 筑紫建彦

 民主党憲法調査委貞会は05年10月31日の総会で、「憲法提言」を決定した。当初、3月に予定されていたが半年以上遅れ、自民党が10月28日に「新憲法草案」を発表したのに対抗し、とりまとめを急いだものだ。
 全体の構成は5部に分かれており、「未来志向の憲法を構想する」、「国民主権が活きる新たな統治機構の創出のために」、「『人間の尊厳』の尊重と『共同の責務』の確立をめざして」、「多様性に満ちた分権社会の実現に向けて」、「より確かな安全保障の枠組みを形成するために」というタイトルがつけられている。しかし言葉の「美しさ」とは別に、その内容は「改憲必要」論を否定するものばかりであり、9条については不戦・非武装の平和主義を生かさず、破壊してしまうものになっている。
 
 「未来志向の憲法を構想する」
     −民主党の改憲論には「改意が必要な根拠」がない


 @まず、日本国憲法が「平和国家日本の確立・持続」と「人権意識・民主主義を根づかせる土台となってきたことを認識し」、「それらを強化・発展させる」という立場から、「憲法論議が盛り上がってきている状況を歓迎」している。そこから「未来志向の憲法構想」「新たな時代にふさわしい『新しい国のかたち』」を唱えている。しかし、なぜ「強化・発展させた新しい憲法」が必要かという理由は、次に見るように、きわめて薄弱か、そもそも根拠になりえない。
A「提言」は、「曖昧さのつきまとう憲法解釈が、国際社会の要請や時代の変化に鋭く反応をする気概を人々から喪失させているのではないか」と懸念し、「時々の政権の恣意的解釈」による「憲法の『空洞化』」に歯止めをかけ、「憲法を鍛え直し、『法の支配』を取り戻す」と言う。とすると、問題は政権による憲法の恣意的解釈や空洞化であって、憲法に欠陥があるわけではない。憲法の規定は、ある程度抽象的な「原則規定」であって、罪はその規定の精神に背く恣意的解釈や空洞化をしてきた政権にある。したがって必要なのは、憲法の規定と精神に忠実な政権・国会をどうつくるかということにある。 そうでないと、どんなに「未来志向の憲法」をつくり「憲法を鍛え直し」ても、恣意的解釈や空洞化はなくならないからだ。民主党の論法は、改憲の根拠になりえない説明を持ち出すという誤ったものだ。
B「提言」は、「民主党が5年間の憲法論議を通じて獲得した価値」として「新しい憲法の5つの基本目標」を示している。(1)「国民が参加し責任を負う新たな国民主権社会の構築」、(2)「普遍的な人権保障と併せて『新しい権利』を確立」、(3)「世界に『環境国家』への道を示し、国際社会と協働する『平和創造国家』日本を再構築」、(4)「活気に満ち主体性を持った統治機構の確立と、民の自立・共同に基礎を置いた『分権国家』の創出」、(5)「伝統と文化の尊重、個人・家族・コミュニティ・自治体・国家・国際社会の重層的な共同体的価値意織の形成」の5つ。
 しかしこれも、(1)現行憲法は「国民主権社会の構築」の障害になってはいない。(2)普遍的な人権保障も「新しい権利」も現行憲法で可能で、むしろそれは現行憲法の最大の価値であり目標である。(3)「環境国家」は現行憲法で可能であり、「平和創造国家」は憲法9条の目的であり、9条を生かすことこそ実現の道である。(4)「主体性を持った統治機構」の意味は不明だが、これが「対米主体性」や「大企業・圧力団体からの主体性」なら政府・国会の問題である。「分権国家」は現行憲法で十分に可能である。(5)「伝統と文化の尊重」「重層的な共同体的価値意識の形成」の内容は不明確で、このようなあいまいな「価値観」を憲法の目標や規定にするのは問題である。

  「国民主権が活きる新たな統治機構の創出のために」
               −アブナイ「強力な統治機構」論


 @「提言」は、「官主導の統治制度と決別して、民主導へ」を掲げている。その内容は、
 (1)「首相主導の政府運営」、(2)「国会の行政監視機能の拡大強化」、(3)「違憲審査機能の強化、憲法秩序維持機能の拡充」となっている。しかし、それらの具体的内容は、むしろ危険性をはらむか、今後の検討課題とされていたりしており、「官から民へ」は看板だけだ。
 A民主党の「首相主導の政府渾営」とは、行政権の主体(憲法第5章)を「内閣」でなく「首相」とし、行政機関を指揮監督し内閣を統括する「執政権」を首相に与えるというもの。現行憲法でも、内閣(閣僚)に対する首相の任免権、行政機関への指揮監督権は明記されているが、「連帯責任」を負う内閣が行政権の主体とされていることで、「首相独裁」への歯止めの意味を持っている。「官益・省益」を抑えようとするなら、それは閣僚の資質の問題であって、権限の問題ではない。官僚の抵抗や判断から自由に政策を進めたければ、首相はそれにふさわしい閣僚を任命し、また官僚を指揮監督すればいい。だから、これは憲法を変える理由にはならない。逆に、多数与党を前提としている議院内閣制の下では、首相の暴走・独裁を止める不信任の議決はただでさえ困難だから、憲法でその首相に全権を与えるようなことは危険である。「政治任用の柔軟化」も、「取り巻き政治」や「イエスマン任用」を強めかねない。「提言」は、これらの危険性について吟味しているとは思われない。
 B国会の下または第三者機関として「行政監視院」のようなものを置くことは、現行憲法下でも国会が法律をつくれば、かなりの程度可能である。それを追求しないで、あるいは自民党の抵抗をそのままにして、それを改憲の理由にしようというのは本末転倒である。また国政調査権の行使を少数でもできるようにすることは当然だが、それは現行憲法で可能であり、問題は多数与党の拒否していることにある。衆参の役割分担論は、それが議会の活性化につながる保障はない。また選挙制度も、どこまで、どのように憲法に書き込むか不明で、そもそも民主党は「民意を反映する選挙制度」に反対して小選挙区制を支持してきた政党である。「政党規定」を憲法に置こうというのも要注意である。
 C最高裁の違憲判断が少ないことを理由に、また内閣法制局に憲法判断を許さないとして、「憲法裁判所」の設置を求めている。しかし最高裁の問題は、政府・国会に対する最高裁判事の「政治的考慮」の姿勢であり、そのような裁判官を内閣が任命してきたことによる。また内閣法制局の憲法解釈は、政府と国会の多数が憲法を無視した法律をつくる上で、それを理屈づけ正当化する役割を担ってきたのであり、それを許してきた国会に責任がある(たとえば「自衛隊合意論」)。集団的自衛権の行使が違憲との解釈は、自衛隊合意論の代償・歯止めとして政府・自民党が利用してきたが、今ではそれすら政府・自民党にとってじゃまになってきており、それが内閣法制局の判断排除という主張になってきた側面が強い。民主党の主張は、自らの責任を棚上げしつつ、その動きに乗ってしまうものである。憲法裁判所をつくっても、その判事が同様の基準で選ばれ、同様の判断しかしないなら、どんな立法・政策も「合憲」とされてしまうだろう。国会の憲法調査会で議論されたように、国会多数派を代表する議長などが構成員になるなら、憲法裁判所は政府・与党の「侍女」にしかなるまい。
 D「公会計・財政に関する諸規定の整備・導入」は、すでに現行憲法に規定があり、それに基づいて国会が法律を整備すればできるもので、これも憲法ではなく国会の責任である。
 E重要課題についての国民投票制度は、現行憲法では「憲法改正国民投票」と「特定地域に関する立法での住民投票」を除いて規定はない。しかし「諮問的国民投票」やその「尊重義務」は、国民主権の原理に沿うものだから、現行憲法でかなりの制度が可能である。これも問題は憲法にあるより、政府・自民党などの反対にある。

 「『人間の尊厳』の尊重と『共同の責務』の確立をめざして」
           −立法・行政の無責任を改憲論に持ち込む


 @この項は、民主党の「憲法提言」全体の約3分の1を占めている。いわば民主党の改憲論の「セールスポイント」である。しかし、「生命に対する権利」「人体統合の不可侵性」「プライバシー権」「生殖医療・遺伝子技術の濫用からの保護」「生命・生活の自己決定権」「個人的・社会的暴力の禁止」「犯罪被害者の人権」「子どもの権利」「教育への権利」「外国人の人権」「信教の自由・政教分離」「差別の禁止」「人権保障のための第3者機関設置」と羅列してある項目を見ると、いずれも現行憲法の基本的人権の規定から導きうるものばかりである。新しい技術や条約、社会的必要の出現に対しては、現行憲法の諸規定を生かして立法すれば保障・対応できる。国会でそれをしないでおいて、「憲法に書けば保障できる」という論法は誤りであり、責任転嫁である。
 A「共同の責務」として、「地球環境保全・環境優先の思想の言及」「自然環境の維持・向上への国・企業・中間団体・家族・コミュニティ・個人の責務」「未来への責任」「公共のための財産権の制約」などが提案されている。これら自体は必要かつ重要であるが、現行憲法でそれができないものではなく、国会でしかるべき立法を行うべきだ。さらに「公共の福祉」概念を、「人権相互の調整原理」と「社会的価値の実現・確保のため」とに区分するという「再定義」の主張になると、危険性さえ加わる。後者は自民党の「公益・公共の秩序」論につながる恐れがあり、「公権力の恣意性の排除」より、人権保障の除外規定になりかねない。
 B「新しい人権」論でも、まず立法で保障しようという姿勢が見られない。「知る権利」「情報社会に対応するプライバシー権」「リテラシー(読み解く能力)確保と対話の権利、学習権」「労働の権利、職業選択の自由の再定義」「知的財産権」などは、現行憲法下で立法・行政で拡充すべき課題であり、その意味で立法・行政の怠慢の問題である。貧弱で問題が多いが、すでにこれらに関する法制度が現行 憲法下でいくつか存在してきているのは、それが可能であることを示している。なお「知的財産権」については、グローバルな貧富の格差、技術格差の面から再検討が必要とされていることを付言しておく。
 C「国際人権法の批准」は当然であり、改憲とは無縁の問題である。「憲法に『国際人権法』の尊重」や「適切な国内措置を講ずる義務」を明確にするというが、すでに現行憲法に「条約遵守義務」の規定(98粂2)があり、批准した条約の履行に必要な国内措置をとることも定着している。それが遅れていたり不十分なものがあるのは、したがって憲法の問題ではなく、国会・政府の責任である。

 「多様性に満ちた分権社会の実現に向けて」
          −改憲よりも、まず住民自治の行動と立法を


 @現行憲法が地方自治の原則的規定を定めているにもかかわらず、「自治体の組織・運営・財政の全般にわたって国の法律によるがんじがらめの統制が行われてきた」との認識は正しい。とすれば問題は、「国のがんじがらめの統制」を打破する法律・行政への改革を進めることである。
 A「コミュニティ→基礎自治体→広域自治体→国」という原理の明確化とその実現も、そのような立法(地方自治法や地方分権基本法などの充実)によって可能であり、現行憲法はそれを否定していないどころか、「地方自治の本旨」(91〜94粂)に沿うものである。「自治体の立法権限の強化」「住民自治に根ざす多様な自治体のあり方」「財政自治権・課税自主権」も同様である。
 「より確かな安全保障の枠組みを形成するために」

   −9条の「平和主義」の否定と破壊

 @「提言」は一応、現行憲法の「平和主義」を高く評価し、「今後も引き継ぐべき」だと言う。しかしその「平和主義」には憲法9条2項の「戦力不保持・交戦権否認」の規定は言及されていない。一方で、「日本は、一国による武力行使を原則禁止した」「国連憲章とそれによる集団的安全保障体制を前提としている」ことを強調することで、集団的安全保障体制への参加論につなげる姿勢が見える。
 A「提言」のポイントは、(1)「国際法の枠組みに対応した『制約された自衛権』の明確化」、(2)「国際賞献のための枠組みをより確かなものに」という議論である。(1)は個別的自衛権の行使だけでなく、集団的自衛権の「制約された行使」をも含もうとするもので、(2)は国連や国際機関、または自民党が主張する「国際協調活動」をも含みうる表現になっている。
 B「提言」は、「わが国の安全保障に係る憲法上の4原則・2条件」を掲げている。4原則とは、(1)平和主義の「基本精神を土台とし」「国際社会の平和を脅かすものに対して、国連主導の国際活動と協調してこれに対処」、(2)国連憲章51条による「緊急避難的な活動に限定される『制約された自衛権』」、(3)「国連の正統な意志決定に基づく安全保障活動(国連多国籍軍やPKO)への参加と武力行使の自主的選択」(それ以外は参加しない)、(4)「指揮権の明確化と『民主的統制』(緊急時の指揮権の発動手続き、国会の承認手続きなどシビリアン・コントロール)」の4つ。しかし国連憲章51条には集団的自衛権の行使も含まれており、個別的自衛権とともに、もともと「緊急避難的な」「制約された」ものとして設けられた。それが米国などの大国によって51条も「自衛権」も恣意的に解釈され、先制攻撃の根拠にまで拡張解釈されてきた。その現実に照らせば、民主党の「制約された自衛権」論は事実上、実効性のない「言葉」にすぎない。「国連多国籍軍やPKOへの参加」と「武力行使の自主的選択」は、拡大されてきたPKO協力法以上に武力行使に踏み込むものだ。それらに「民主的統制」を加えても「首相の指揮権と国会承認」が法定されるだけで、日本が海外で武力行使する道を開くことに変わりはない。
 C「2条件」として、(1)「専守防衛の考え方と必要最小限の武力行使」、(2)「憲法附属法としての『安全保障基本法』を持ち出している。しかし「専守防衛」や「必要最小限の武力行使」という言葉が、ほとんど何の歯止めにもならなかったことは、近代史を見ても現代の世界を見ても、自衛隊の世界有数の「戦力」への増強と日米共同作戦体制の強化を見ても明らかである。
Dこのような議論をする民主党には、国連と米国、5常任理事国との関係、国連そのものの安全保障機能のあり方が問われており、日本が非軍事・文民による国際協力で大きな役割を果たしうることについての認識がまったくない。その結果、古い「普通の(軍事的)国」論に陥っている。特にアジア地域について、日本が積極的に「非同盟・紛争の平和的解決、協力と共生の地域システム」を創り出すという最も重要で未来志向の発想はない。そしてこれらは、憲法9条を変えるのではなく、9条を生かす道として開かれている。このように民主党の安全保障論は、9条の「平和主義」の否定と破壊でしかない。
ライン
自民党「新憲法草案」を検討する           古川  純(専修大学)

はじめに−自民党「新憲法草案」への道
 ◎資料:自民党「新憲法草案」(現行憲法対照)を参照してください。
2004.  6.10 自民党憲法調査会憲法改正PT(プロジェクト・チーム)「論点整理」   
11.17 自民党憲法改正草案大綱(たたき台)−「己も他もしあわせ」になるための 「共生憲法」を目指して−(事務局案)→元防衛庁長官の中谷元・起草委員長が陸上自衛隊幕僚幹部の二佐に安全保障関係を中心に草案起草を依頼し・提出を受けたことが発覚して党内外から批判を受けたこと、また参議院の間接選挙制案に対する自民党内からの反発もあり、白紙撤回された 
12.   新憲法制定推進本部(小泉総裁が本部長、武部幹事長が事務局長)および新憲法起草委貞会設置(憲法「改正」から「新憲法」起草へ)
2005.  4.4 自民党新憲法起草委員会小委員会要綱 
 7.7  自民党新憲法起草委員会要綱・第1次案   
 8. 1   自民党新憲法第1次案   
10.7  前文起草小委員会案(”中曽根色”[世界平和研究所(中曽根康弘主宰)「憲法改正試案」の前文、2005.1]が色濃く出ている) 
10.12  自民党新憲法第2次案(第9条は福田康夫・小委員会で検討中:10月19日に小委員会開催予定、前文は中曽根康弘・小委員会で検討中、法律学的・法制的検討は衆参両院の法制局で作業中) 
10.28  自民党「新憲法草案」 
11.15  自民党結党50周年 
11.22  自民党結党50周年の党大会予定
*新憲法起草委員会:森喜朗委員長、与謝野馨事務総長、保岡興治事務局長
*新憲法起草小委員会:前文=中曽根康弘委員長・安倍晋三委員長代理、天皇=宮澤喜一委員長・橋本龍太郎委員長代理、安全保障及び非常事態=福田康夫委員長・舛添要一委員長代理、国民の権利及び義務=舟田元委員長、司法=森山真弓委員長、改正及び最高法規=高村正彦委員長、(国会・内閣・財政・地方自治は省略)

1.「新憲法草案」の特徴を概観する

(1)「復古色」を消した前文一新「国体」としての象徴天皇制
 @自民党憲法調査会PT「論点整理」:「総論」では、「品格ある国家」や「愛国心」、家族や共同体が「公共」の基本をなすものをあげ、丁わが国の憲法として守るべき価値」として「現憲法の制定時に占領政策を優先した結果置き去りにされた歴史、伝統、文化に根ざしたわが国固有の価値(すなわち「国柄」)や、日本人が元来有してきた道徳心など健全な常識に基づいたものでなければならない」ことをあげた。前文に盛り込むべきものは、「国柄」「家族に関する文言」「利己主義を排し、『社会連帯、共助』の観点」「国を守り、育て、次世代に受け継ぐ・・・継続性」
 A起草小委員会要綱および新憲法起草委員会・要綱第1次案:現行憲法に欠けている日本の国土・自然・歴史・文化など国の生成発展についての記述を加えること、「なぜ今、新憲法を制定するのか」という意義を前文で明らかにすること、日本の歴史上初めて国民みずから主体的に憲法を定めることを宣言することなどを指針として、前文には国の生成・国の原理・国の目標・結語(国民の名において新たな憲法を制定する)を盛り込むべきである。
 B新憲法第1次案・第2次案:前文はなお検討中
 C新憲法草案:まず「日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。」という文言から始まり、ついで2段目の冒頭に「象徴天皇制は、これを維持する。」という文言が置かれる。3段目では、「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有」することを述べる。
 4段目では、現行憲法9条の一文を移しながら全体として現行前文の3段目・4段目の(「名誉ある地位を占めたい」、「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」などの)第2次大戦後の国際社会のあり方を方向付けるような格調高い文言をすべて削除して簡略化する。→前文起草小委員会の「復古色」とナショナリズムの基調については、草案全体を視野に入れて高度の政治判断を行った起草委員会の審議で退けた(消した)?
*新憲法草案の前文の問題点:(a)象徴天皇制の維持を国民主権や民主主義という「不変の価値」とされる「基本原則」よりも優位に置いて、前文の基本決定のような扱い。象徴天皇制を消滅してはならない日本の新「国体」とする意図がある。←PT案:天皇の祭祀等の行為を「公的行為」とする明文規定・天皇の地位の本来的根拠は「国柄」にあることを明文で規定・天皇を「元首」として明記、(b)「帰属する国」を「責任感と気概をもって自ら支え守る責務」は、容易に国防の義務や国民皆兵制を導きだす根拠になりかねない。(c)「国際社会において、・・・圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。」ことは、9条の2(自衛軍)の3項が「自衛軍は、・・・国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動・・・を行うことができる。」としているところに結びつき、米国等の同盟国と協同した集団的自衛権行使や人道的武力介入を導くものである。

(2)自由・人権に対する「公益及び公の秩序」からの責務(草案12条・13条)←PT案:社会連帯・共助の観点からの「公共的な責務」に関する規定・家族を扶助する義務・国家の責務として家族を保護する規定・国の防衛及び緊急事態における国民の協力義務

(3)「新たな英霊」を顕彰する首相の靖国公式参拝の憲法的正当化 草案20条3項:国およびその機関にたいする宗教的活動の禁止(現行3項、財政面の支出・便益供与については89条)を大きく緩め、「国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教的教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。」(これを受けた草案89条1項も同よう)と変更。⇒小泉首相の靖国神社参拝に関して、福岡地裁違憲判決(2004・4.7、ただし慰謝料請求は棄却)や大阪高裁違憲判決(2005・9・30、ただし慰謝料請求は棄却、高裁レベルでは初めての違憲判断)のように、参拝行為を内閣総理大臣としての「職務を行うについて」(国家賠償法1条)に該当する公式参拝であったとする違憲判断が続き、本年10月17日の小泉首相の参拝は「普通の−般国民と同じ」「簡略参拝」「腐心の未『私的』演出」と報道(朝日新聞2005.10.18)されたように「私的参拝」を強調するもの。しかしその行為は首相の正面からの「公式参拝」推進派を満足させるものではない→草案は政教分離原則違反の違憲問題を憲法的に解消させてしまう意図をもつ。愛媛玉ぐし訴訟最高裁違憲判決(1997.4.2、県知事の靖国神社・護国神社への公式参拝と公金支出を違憲とするケース)は「目的効果基準」を厳格に適用して県知事の参拝行為を違憲と判断、法論理的には首相の靖国神社参拝行為も最高裁段階でやはり違憲と判断されることになる。草案はその違憲判断の根拠を消し去ろうとするもの→特に戦前の「国家神道」の中でも軍と特別の結びつきのあった靖国神社への首相の公式参拝を憲法的に正当化することは、9条の2で正当化される「自衛軍」の国際的協調活動で発生する「戦死者」=「新たな英霊」を靖国神社に合祀・顕彰するために、どうしても必要な改憲なのである。⇒自衛軍、「新たな英霊」の靖国神社合祀・顕彰、国家緊急権、軍事裁判所の一体的構造一戦争のできる「軍事国家」への道!

2・「戦争の放棄」から「安全保障へ」−自衛軍・国家緊急権・軍事裁判の正当化へ

(1)「戦争放棄・戦力不保持」から「安全保障」(軍事の優位)への転換の意味
 @PT案:自衛隊のための戦力の保持の明記、個別的・集団的自衛権の行使に関する規定、内閣総理大臣の最高指揮権、非常事態全般に関する規定、非常時における国家権力の円滑な行使に関する規定の明記
 A起草小委員会要綱:「安全保障及び非常事態」に関する要綱=「自衛のために自衛軍を保持する。自衛軍は、国際の平和と安全に寄与することができる。」「内閣総理大臣の最高指揮権及び民主的文民統制の原則に関する規定を盛り込む。」のほかに、検討事項として「軍事裁判所」「非常事態」「安全保障基本法」「国際協力基本法」。
 B新憲法起草委員会・要綱第1次素案:検討事項が消えた。
 C新憲法第1次案:下級裁判所としての軍事裁判所の設置(76条3項)が登場。
 D新憲法草案の9条の2の3項:「非常事態」は「緊急事態における公の秩序の維持」の形で登場。
⇒「安全保障」とは、nationalsecurityである便り〈自衛軍・国家緊急権・軍事裁判所〉を一体として持つ構造を意味する。旧憲法の〈戦争・軍隊・国家緊急権・軍事裁判所〉を一体のものとして規範的に排除した現行憲法の基本原理(戦争放棄・戦力不保持・市民的公共性の優位)とは全く正反対のもの。「安全保障」は、再び「軍事」を憲法の規範構造の中心にすえて、「戦時」・「緊急事態」の事態想定を持ちながら、人権保障の停止をも正当化する軍事的公共性を優位におく統治体制へ転換するもの。

(2)戦力不保持・交戦権否認の削除と自衛軍の保有および国家緊急権の創設
 @新憲法第1次案で削除・改変された現行9条の「戦争放棄」条項は、新憲法草案では2項を削除して1項のみ全文がそのまま残された。1項は不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約、1928年)の規定の国内基本法化を意味するから、その削除・改変は国際政治的に特別の意図を持つと解釈されることに配慮したからか。
 A草案:1項のみを残した9条を棚上げにし、9条の2の1項で「自衛軍」を保有、内閣総理大臣を「最高指揮権者」=「軍の指揮命令権者」として、内閣の行政権から独立した「軍の指揮命令権」=「統帥権」を憲法に創設。→合衆国憲法2条2節1項の大統領の最高司令官条項に相当。なおPT案では文民条項(現行66条2項=解釈の変遷はあるが現役武官大臣制の否定として運用)の削除を提案していたが、草案では維持。
 B草案9条の2の3項では、「自衛軍」を必ずしも国際連合の決定を踏まえることを前提にしない「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」と、「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」に使用することができる旨の規定。前者:すでに自衛隊を個別立法によってインド洋やイラクサマーワに派兵している現実を憲法的に正当化するだけでなく、「自衛軍」が派兵現地で軍事的必要に応じて戦闘行動=「戦争」に踏み込むことを可能とするもの。後者:現行憲法が制定時に排除した旧憲法の国家緊急権を創設する意味を持つものだが、しかし現行の「有事法制」=武力攻撃事態法等3法はすでに自衛隊の任務を拡大し、国民に義務を課す体制をつくりあげている→「緊急事態」に「自衛軍」を出動させうるとすることは、現行「有事法制」以上の軍事的権限と軍事的義務付けを拡大することを意図することになる。

(3)「軍事裁判所」の設置による司法への「軍事」の侵入
 草案76条3項:、「軍事に関する裁判を行うため、法律の定めるところにより、下級裁判所として、軍事裁判所を設置する。」現行76条2項の特別裁判所の設置禁止はそのまま残しているので、この「軍事裁判所」は旧憲法下の特別裁判所であった「軍法会議」とは異なるとするつもりであろうが、「自衛軍」の軍刑法違反事件(「軍人」も「市民」も)を特別に管轄する下級裁判所であるかぎり、実質的に旧「軍法会議」として機能するものとなる。⇒司法への「軍事」の侵入は、統治体制のみでなく社会的にも「軍事」の価値を特別視する文化を形成し定着させる恐れがある。

3.憲法改正の発議・議決要件の緩和

 改正規定の換作(草案96条):「衆議院又は参議院の議員の発議」、「各議員の総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案」(「3分の2以上」要件の緩和)、「特別の国民投票において、その過半数の賛成を必要とする。」(強制的=義務的国民投票の存置、新憲法起草委員会改正小委員会要綱でも維持)−PT案:発議要件を「各議院の総議員の過半数」へ(改正小委員会要綱も同じ)、また「各議院において総議員の3分の2以上の賛成が得られた場合には、国民投票を要しないものとする」(改正小委員会要綱で強制的国民投票維持へ変更)

4.草案の問題点その他

(1)内閣総理大臣の職務(草案72条)

(2)内閣の政令で、法律の委任があれば、「義務を課し、又は権利を制限する規程を設けること」ができる(草案73条6号)

(3)現行95条(地方自治特別法に対する住民投票、国会の立法権に対する地方自治の本旨からの制限)の削除

おわりに−なぜ「新憲法」か

(1)「改正」では「各改正条項ごとの国民投票」論に説得力あり、全面改正の「新憲法」で「一括投票」方式へ。

(2)現行憲法の基本原理である平和主義を具体化した規範的アイデンティティ(憲法の同一性)は、不戦条約に起源を有する9条1項ではなく2項の画期的な戦力不保持と交戦権の否認。→草案の2項削除は、憲法の同一性を破壊するという意味で理論的に「憲法改正の限界」を超える(まさに憲法「改正」手続きでは決して許されない、「新憲法」の制定!)⇒「改正手続」で「新憲法」制定は”革命”か?(新保守=新自由主義革命)

(参照:拙稿「自民党『新憲法草案』が狙うもの−『戦争のできる軍事国家』への道」『軍縮』2006年1月号、軍縮市民の会)
ライン
                                         
ホーム
ホームヘ